袖の種類 part.1
●アメリカンスリーブ
首の根もとから袖ぐりの下まで斜めに大きくカットしたノースリーブの型デザインの一種
です。後ろにも前と同じ形の身頃が付いているのが特徴です。
正式には「アメリカン・アームホール」と言います。
●ウィングスリーブ
肩からゆったり流れる様な感じになった袖口の長い袖のことです。
鳥の翼(ウィング)のように袖口で大きく広がった袖が特徴です。
●ウェッジ・スリーブ
「ウェッジ」は「くさび」の意味で、袖付けが腕の付け根より身頃側にくさび形に深くカット
された袖のことです。
袖付けのゆとりがあり、着脱が楽で運動もしやすいのが特徴です。
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●キモノ・スリーブ
身頃から続いて裁ち出された袖で、和服の袖に似ていることからこう呼ばれます。
袖は短いものから長いものまで様々です。
●キャップ・スリーブ
肩先にキャップをかぶせたようなごく短い袖のことです。
そで下はほとんど無く、肩先が隠れる程度のものです。
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●ケープ・スリーブ
ケープをはおったような感じの、肩から腕にかけてゆったりした袖のことです。
肘丈くらいで短めで袖口が広がっているものが多いのが特徴です。
●ケープレット・スリーブ
ケープ・スリーブより短めのもので、夏のドレスなどに見られます。
「ケープレット」の「レット」は「小さい」という意味があります
●シース・スリーブ
「シース」とは「鞘(さや)」の意味で、ほっそりとして、腕にぴったりとした長い袖のことです。
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●シャツ・スリーブ
男性用のワイシャツなどに見られる袖山が低く袖付けの縫い代を身頃側に倒したカフス
付きの袖のことを言います。
●スパイラル・スリーブ
「スパイラル」とは「らせん状の」という意味で、布を渦巻状に縫い合わせて作った袖のこと
です。 女性の毛皮のコートに見られます。
●
スプリット・ラグラン・スリーブ
ラグラン・スリーブで、肩の縫い目から前部が普通袖で、後ろがラグラン・スリーブに
分かれた袖のことです。男性用のスプリングコートや、レインコート、ジャンパーなどに
用いられます。
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モードとシルエット変遷 part.2
≪1940~1960年代≫
●1940年代
~ニュールック誕生~
1945年に戦争が終わると、パリではすぐにオートクチュールコレクションが復活し、1947年にはクリスチャン・ディオールがデビューします。
贅沢に布を使った女性らしいシルエットのドレスは、戦争でおしゃれ心を忘れかけていた女性に強いインパクトを与えました。
~代表デザイナー クリスチャン ディオール~
クリスチャン・ディオールは、1946年にメゾン設立。翌年発表した作品が「ニュールック」として大流行し、第二次世界大戦直後の世界中の女性に夢を与えました。
以降10年間、Hライン、Aラインといった優雅で洗練された女らしいスタイルを次々とパリから世界へ発信し、1950年代モードをリード。
ディオールの死後、イヴ・サンローラン、マルク・ボアン、ジャンフランコ・フェレがクチュリエとして活躍し、現在はジョン・ガリアーノがデザイナーを務めています。
●1950年代
~バブルドレスからサックドレスまで~
これ以降1950年代は、パリのオートクチュールが世界のファッションに多大な影響を与えます。
立体裁断の技術で知られるクリストバル・バレンシアガやオードリー・ヘップバーンの映画衣装で知られるユベール・ド・ジヴァンシーなど、きら星のごとく男性デザイナーが活躍します。
彼らは女性の理想像を服で追及し、美しく構築的なシルエットを生み出しました。
ただし、これらは社会進出した女性には支持されず、引退していたシャネルが戦前同様の着やすい服でカムバック、男性デザイナーも機能的なデイドレスを提供していくこととなります。
ディオールがデビュー10年で急逝すると後を継いだイヴ・サンローランが、1958年に台形でウエストをしぼらない若々しいデザインで脚光を浴びます。ロンドンではマリー・クワントが若い女性向けの商品で人気となりました。
~代表デザイナー クリストバル・バレンシアガ~
バルーンスカートのドレスを発表。「はさみの魔術師」と呼ばれ立体裁断を得意としたバレンシアガらしい、巧みなカッティングが施された構築的な一着です。
クリストバル・バレンシアガは、スペインで高い評価を得た後、1937年パリにメゾン開設しました。
1950~1960年代、厳密なカットと縫製技術により、バルーンシルエット、チュニックドレスといった革新的なフォルムを次々と生み出します。
デイドレスのスーツも秀逸で、その後のスーツの原型となりました。パリ・オートクチュールの黄金期を築いた巨匠の一人でもあります。
●1960年代
~ジオメトリックラインのコスモルック~
戦後復興を果たした1960年代には、技術革新が進み大衆の購買力も高まり、大量生産大量消費が加速されます。
カラーテレビも登場し、かつてない情報化時代がやってきました。大衆文化が花開き、中でも若者向けのファッションであるミニスカートやTシャツ・ジーンズなど、かつてない自由でユニセックスな服装の時代となります。
シンプルな服の流行は、ファッションビジネスの世界でも大量生産大量消費の既製服全盛時代を推し進めたのです。
ストリートではすでに広まりつつあったミニスカートをアンドレ・クレージュがオートクチュールで初めて発表し、ピエール・カルダンやサンローランは、プレタポルテ(高級既製服)ブランドを開発。
パコ・ラバンヌは金属やプラスチック板で、宇宙的で露出度の高い作品を発表。それらはいずれもウエストを締め付けない単純なシルエットのミニのワンピースでした。
アメリカではルディ・ガーンライヒが、女性の解放感をアヴァンギャルドな作品で表しました。
ベトナム戦争でアメリカの北爆が1965年に始まると、それに反対するヒッピーのライフスタイルが世界の若者に影響を与えます。
彼らは、アメリカ的、西欧的、キリスト教的な価値観に異議を唱え、さまざまな民族衣装や古着の重ね着、Tシャツにジーンズ、素足にサンダル、伸ばし放題のひげと髪といった反社会的な風体をしました。
これらはヒッピーファッションとして消費されていくこととなります。
彼らのドラッグ文化はサイケデリックアートを花開かせ、これもファッションに取り入れられるように。
エミリオ・プッチの派手なプリント柄も人気でした。
~代表デザイナー ピエール・カルダン~
ピエール・カルダンは、1950年パリにメゾン開設。
1960年代、特に1964年の「スペースエイジ」など斬新なアイディアと宇宙的なデザインで一時代を画します。そのデザインは飛行機、劇場、レストランなど多方面に広がり、企業家としての活躍も有名。
~代表デザイナー アンドレ・クレージュ~
「クレージュ・スタイル」と呼ばれるパンタロンスタイルのスポーティで機能的なデザインを発表。
アンドレ・クレージュは、1961年パリにメゾン開設。1965年オートクチュールとして初めてミニスカートを発表、ミニ旋風を起こします。
未来的なデザイン、セカンドスキンというコンセプトのモダンで若々しい作品は、世界的に大きな影響力を持ちました。
~代表デザイナー パコ・ラバンヌ~
パコ・ラバンヌは、1966年春夏コレクションでプラスチックの小片を針金でつないだ未来感覚のドレスを発表。
保守的なオートクチュール界に変化をもたらしました。金属や紙など、布以外の素材の服で「モード界のカーペンター」の異名を持っています。
デザインあれこれ≪ア行≫
≪ア行≫
●アシメトリー
アシメトリーとは左右非対称の意。
左右のデザインが違っていたり、左右のポケットの位置が違っていたり、パンツやスカートなどでよく見かけます。
アシメトリーの反対にシンメトリーがあるが、アシメトリーのほうがデザイン的には個性的、若者には好まれるようです。
インテリアにも左右対称でないものが多くあるが、デザイン的にも感覚的にもお洒落な雰囲気があり、デザイナーショップやキャラクターショップなどに数多く商品が並んでいる。
●Aライン
クリスチャン・ディオールがコレクションで発表して以来、何度も流行を繰り返しており、もはや基本ラインのひとつで、AラインのワンピースやAラインのスカートなどは定番。常にいろいろなアイテムにも使われるラインです。
アルファベットのAの字型のシルエットです。上のほうが小さく、下へ行くほど裾広がりのデザイン。
●アップルライン
アップルは「広い、広大な」の意。全体にゆったりしたシルエットでルーズフィットの新しい表現としてよく使われます。
体のラインが出なくて、ゆったりと楽に着こなせるシルエットで、ジャケットやコート、ワンピースやスカートなどにも分量の多い服も見かけます。
今日では全体にスリムラインやコンパクトラインが多いため少なくなっているシルエットでもあります。
●アローライン
クリスチャンディオールが1956年春夏コレクッションで発表したライン。
フランス語でいうと、リーニュフレーシュを英語に直したものが「矢の線」と訳されます。
ちょうど矢のように上から下までまっすぐなラインを言う。現在でもワンピースやスーツ、ジャンパードレスなどにもアローラインの服があります。
また、fラインとも呼ばれることもあり、これは横から見たときにアルファベットの小文字のfを思わせるところからきたもの。
●アンサンブル
アンサンブルとはフランス語で「調和、統一、一緒に」の意味。
ワンピースとボレロ、ワンピースとジャケット、コートとスーツやコートとワンピースなどが同じ生地で、色、柄、デザインなどに統一した組み合わせをいうことが多いですね。
●アースシューズ
大地(アース)を踏みしめて歩く靴といったコンセプトで、人間工学に基づいた、健康に良い靴として1970年代から履かれ出しました。
スウェーデンのアンカルソー女史の創案といわれ、靴の後ろがやや低くなっているゴム製のフラットソールが特徴。
1970年代に日本を含めて世界的ブームを巻き起こした後、一度は市場から消えてしまったが、近年、今風なスタイルやデザインで復活しています。
●イタリアンカラー
ワンピースカラー(台衿が付かないシャツカラー)の代表的な衿型。
衿腰(2枚衿で折り返しより下の部分、首に沿って立っている部分)が低く、1枚断ちでそのまま前立て(前身ごろの明きにつける細長い布やその部分)につながった形のもので、V字型のネックラインに衿をつけ、衿先を角形にした衿です。
また、セーターなどで、Vネックライン(V字型にカットされたネックライン)にポロカラーのような衿をつけたものをイタリアンネックというが、時としてそれをイタリアンカラーと呼ぶことがあります。
●イタリアンシューズ
特につま先が細くシャープな感じでトウや底が薄く、そり返りのある婦人靴や紳士靴をいうことが多いイタリア型の靴の総称。
紳士靴では重厚なつくりの英国型に対比させて、華奢(きゃしゃ)でエレガントなイメージのものをこう呼ぶこともある。
狭義にはイタリア独特の工芸的なタッチが施された靴を指します。トウが四角にカットされたものをこう呼ぶことも。
60年代に流行したイタリアンコンチネンタルスーツに合わせるためにデザインされました。
●ウイングショルダー
肩先に翼(ウイング)のような張り出しが付いた肩線のこと。
アルプスの伝統的なローデンコート(アルプスのチロル地方に見られる伝統的な防寒コート)に見られることからローデンショルダーともいいます。
他に、ウエルテッドショルダー(縁取りのある肩)やオーバーショルダー、フランジショルダー(縁取り飾りを付けた肩)といった名称もあり、フローティングショルダー(肩先が張り出して、身頃から浮き出したように見えることからこの名がついた)、カミシモショルダー、アルパインショルダーとも同義です。
●エプロンドレス
エプロンとドレスの両方の機能を備えた婦人服。ほとんどが胸当てが付き、後ろ明きになり、ウエストはひもやベルトで締め、スカート部分はゆったりとしているのが特徴です。
重ね着の上に着ることが多く、ホームドレス(家の中で着ることを目的とした、ゆったりとくつろげるドレス)として用いられることも。
また、エプロン型をしたスカートやエプロン付きドレスと言う場合もあり、エプロンスカートはジャンパードレスともいいます。
見た目にエプロンぽいこともあるが、組み合わせの仕方しだいでお洒落なドレスに見えることも。
●エポーレット
肩章(けんしょう)また肩飾りと訳されます。
トレンチコートやカジュアルなジャケットなどの肩のところに付くタブ(衣服などの各部につける垂れとか垂れ飾りの意味で、ボタンで留めて機能性を持たせたり装飾的な役割も果す)状の布片をいいます。
もとはフランス語で肩を意味するエポール(epaule)に小さいを意味する指小辞のetteがついてエポレット(epaulette)となったもの。
つまり小さな肩をあらわし、これが英語化してエポーレットと呼ばれるようになりました。エポーレットは軍服のデザインとして18世紀中期から見られます。
アイテムあれこれ≪ア行≫
以前からこのブログではファッションの流行や用語について書き連ねていますが、同様にアイテム、デザインについて書いてみます。
見てはいるけれど、実は意味を知らなかったり・・・ということもありますよね。
ファッションを楽しむ上で、覚えておくと得するかもしれませんよ。
≪ア行≫
●アスコットタイ
礼装用のネックウエア。モーニングコート(昼間の正装として用いる男の礼服)に用いられる幅広のネクタイ。本来は結んでタイ・ピンで留めるが、一重結びにしてスカーフのように用いるのもこう呼びます。
英国、アスコット・ヒースの王室所有競馬場の名に由来し、貴族たちがモーニング・コートにこのタイを用いた正装で出席したことから一般に流行するようになりました。
19世紀の中頃に登場したと言われ、単にアスコット、または、アスコット・クラバット、日本では蝉(せみ)型タイとも呼びます。
●アフタヌーンドレス
午後のフォーマルの場に着用される服の総称。特にワンピースのドレッシーな婦人ドレスをさすことが多い。
アフタヌーンドレスは女性にとっての正式な昼間の礼服として着用されます。
肌を見せるような透ける生地などは避けるのが原則で、丈は少し長めのものが一般的。
現代では貸衣装の店に数多く取り揃えてますので、自分で所有しなくてもレンタル衣装を利用される人が多いようです。
●アロハシャツ
ハワイが発祥地で派手なプリント柄のオープンカラー(ラペル部分が身頃から続いてテーラー風に見える)の夏用のシャツ。
ゆったりしたシルエットで裾を出して着るカジュアルなタイプのシャツです。
アロハはハワイのことばで「アイ、親切、歓迎、別れ」などの意味。
もともとは日本の浴衣(ゆかた)地を使ってシャツとしたところから始まったといわれています。
別の呼び方で、ハワイアンシャツ、ワイキキシャツ、トロピカルシャツとも呼ばれます。
●イブニングドレス
一般的には「夜会服」の意味。男性、女性かかわらず、夜間の社交の場で用いる礼服を指します。
女性のドレスを指すことが多く、夜間の礼服としてはローブデコルテ(格調高く、えりを大きく開け、腕、背中や胸の部分を大きく開けた、丈が長い優雅なドレス)などのロングドレスが代表とされ、イブニングガウンとかイブニングフロックなどの別名で呼ばれています。
今までは上流社会や富豪層がが一般的だったが、今や、定年後の社交的な熟年層も夫婦で夜の社交界などに出向いて、奥様がイブニングドレスを着用して、参加される人も。
●ウエスタンシャツ
アメリカ西部のカウボーイ達によって着用されてきたカジュアルなシャツ。
もともとは作業のためのシャツで山形のショルダーヨーク、カフス部分の変形切替え、ドットボタン(金属のアンティークやシルバーなどの打ち付けボタン)など独特な個性のあるシャツでした。
素材的には丈夫なデニムやダンガリーのやや厚手のもので作られることが多く、長袖がほとんどで夏以外の3シーズンに主に着用されています。
現代でもボトムはデニムのパンツが主流になっており、それのトップスでウエスタンシャツを合わせると、アメリカ西部のイメージが見えてきます。
●ウエスタンジャケット
アメリカ西部のカウボーイたちが愛用しているスエード素材のカジュアルジャケット。
西部劇の映画などで見られるカウボーイが着用いているジャケットが定番的なウエスタンジャケット。
ショルダーヨークや袖、裾などに長いフリンジ(房飾り(すさかざり)で布端に毛糸を束ねてつけたり、布端の地糸をすぬいて縁飾りをとる)を付いているのが大きな特徴です。
現代でもそれほどフリンジが長くないがウエスタンジャケット風の物も見られます。
素材はスエードが中心だが、合皮や普通の生地でもウエスタン調のデザインが目に留まることもあります。
●ウォッシャブルスーツ
水洗いができるスーツ。ポリエステル(石油や天然ガスなどを原料にした合成繊維)の糸で織られた男性用の指すことが多く、扱い方が簡単なことや値段が安いということから、夏向きの2着目のスーツやユニフォームなどに需要が多くなっています。
家庭での洗濯機でも簡単に洗えるように、芯地や裏地などの付属に配慮して、ポリエステル糸でしわもつきにくくなっています。
また、ウォッシャブルシャツやパンツなども家庭の洗濯機で気軽に洗えるアイテムが多いのも特徴です。
●エンブレム
ヨーロッパ王侯貴族の家紋にあたるマークのこと。
自分のファミリーを象徴するために、楯や旗などに用いた楯形の紋章でライオン、鷹、王冠、百合の花などを図案化したものが多くみられます。
現在では学校や所属クラブのシンボルマーク的な扱いでブレザーの胸ポケットに配される胸マークをさすことも。
他に、アームズ、チャージ、クレスト、ブレイゾン、ヘラルドリー、インシグニア、ブレイゾンリーなどさまざまな別称、異称があり、ドイツ語ではワッペンと呼びます。
●オーバーオール
上下がつながっている「つなぎ服」の意味。
上着の部分に胸当てと、肩から吊るストラップに尾錠(英語でバックルのこと、ベルト上の止め具)がついた、前掛け方のパンツをいい、胸、脇、腰などに工具入れようの機能的なポケットが多く付いているのが特徴。
もともと、汚れ防止のために作業服として、普通のパンツの上にはいていたため、オーバーオールという名が付きました。
デニム地が丈夫なため多く、オーバーオールジーンズとか、サロペットジーンズ、またはカーペンダージーンズなど呼ばれています。
●オープンカラー
開き衿、開襟のことで男女とも開襟シャツとして普及。
オープンカラーは、シャツの形としては新しいものでで、1945年、世界第二次大戦終了以前では、シャツのボタンをはずし、胸元をみせるなど、失礼な格好として日常みかけることはありませんでした。
服装の改良、合理化にともない、ワイシャツの上ボタンを一つはずし、涼しくカジュアルに着ることが流行。
そのスタイルを、シャツの構造に取り入れ、はじめから衿を開いて着るシャツが誕生。
夏、胸元の暑さから逃れるため、特に男性のあいだで人気が高まりました。
●オープンシャツ
オープンカラーを特徴とするシャツの総称で、開衿(かいきん)ともいいます。
シャツカラーの一種でラペル部分が身頃からの続きの開き方となってる衿。
スポーツカラーと呼ばれるコンバーティブルタイプ(両用型)衿型になっているスポーツシャツで開襟シャツとも呼ばれます。
裾が水平にカットしてあるところからかつては夏用のビジネスシャツとして多くのビジネスマンが着用していました。
アロハシャツやイタリアンカラー(衿腰が低く、1枚断ちでそのまま前立てにつながった衿)のシャツなども含まれます。
イッセイ ミヤケの始まりと歴史
今まで、各国を代表するファッションブランドの始まりと歴史を紹介してきました。
今回は本国日本を代表するブランド、イッセイ ミヤケのヒストリーを紹介したいと思います。
●ブランドのはじまり
1970年に三宅一生が「三宅デザイン事務所」を設立、
71年、ブランド「ISSEY MIYAKE(イッセイ ミヤケ)」として
ニューヨークにてコレクションを発表しました。
●イッセイ ミヤケについて
三宅一生(Issey Miyake)は1938年生まれ。
多摩美術大学図案科在学中の60年、
三宅は、日本ではじめての世界デザイン会議開催に際し、
「衣服デザインが含まれていないのはなぜか」と投書。
衣服をファッションではなく、デザインとして捉える視点に注目が集まりました。
大学卒業後、第1回コレクション「布と石の詩」を発表。
その後、フランス、パリに渡り、
シャンブル・サンディカル・ド・ラ・クチュール・パリジェンヌに入学し、
その後、ギ・ラロッシュ、ジバンシーのメゾンに入ります。
68年、パリ5月革命に遭遇したことが大きな契機となり、
一般の人々のための服づくりを志します。
69年、ニューヨークへ渡り、ジェフリー・ビーンのもとで経験を積みます。
パリではエレガントな技巧、ニューヨークでは機能と実用性を重視する服作りを学びました。
ファッション
東京に戻り、70年に「三宅デザイン事務所」を設立。
1971S/Sシーズン、「ISSEY MIYAKE」としてニューヨークにてコレクションを発表。
73年からは、パリにてプレタポルテ・コレクションを発表。
70年代、日本はもちろん、世界の伝統的な技術を受け継ぐ職人のもとを訪れ、
失われつつある糸、染め、織りなどの技術を研究、
モダンなデザインとして蘇らせる協働制作プロセスを確立しました。
三宅の服づくりは、創業当初から現在に至るまで
「一枚の布」という考え方に貫かれていますが、
この考えのもと、一本の糸から、オリジナルで素材を開発しながら、
身体と、それをおおう布、その間に生まれる「ゆとり」や「間(ま)」
の関係を追求しているのが特徴です。
80年代、身体のフォルムと動きの研究を続ける中で、
プラスチック、籘、紙など、布以外の素材を用いた服づくりに挑戦します。
83年には「ボディワークス展」を開催。これについて三宅は、CBSのインタヴューで
「人々がこれまでとは異なる視点で"ボディ"について考えはじめた時期でした」と語っています。
88年よりプリーツへの取り組みをスタート。
93年、「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE(プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ」をスタート。
このブランドでは裁断・縫製後にプリーツをかける「製品プリーツ」手法を用い、
機能・汎用性・美しさをかね揃えた服を展開。
これまで約400万枚が世界中で愛用されています。
98年、藤原大(Dai Fujiwara)と共にデジタル・テクノロジーを用いて
「A-POC =A Piece Of Cloth(エイポック)」の開発をスタート。
一本の糸、一枚の布が服になるまでの革新的なプロセスを確立しました。
ファッション
2000S/Sシーズンのコレクションより「ISSEY MIYAKE」ブランドを
デザイナー滝沢直己(Naoki Takizawa,ナオキ・タキザワ)が引継ぎました。
2004年、財団法人三宅一生デザイン文化財団を設立。
アーカイブ作りやデザイン文化交流、
若手の作家・アーティストなどを中心とした人材育成に尽力しています。
2007S/Sを最後に滝沢直己がISSEY MIYAKEブランドでのデザイナーを退任。
2007A/Wコレクションより藤原大がISSEY MIYAKEブランドの
クリエイティブディレクターに就任し「A-POC INSIDE」を掲げて引継ぎます。
現在、ISSEY MIYAKE INC.にて「ISSEY MIYAKE (women/men)」
「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」「HaaT」「me ISSEY MIYAKE」の5ブランドを展開。
グループ会社のA-net Inc.では「Plantation(プランテーション)」
「sunaokuwahara(スナオクワハラ)」「TSUMORI CHISATO(ツモリ・チサト)」
「ZUCCa(ズッカ)」「FINAL HOME(ファイナルホーム)」
「Ne-net(ネ・ネット)」「mercibeaucoup,(メルシーボークー,)」の7ブランドを展開。
ファッション
ブランドには、「熟練した職人達により受け継がれてきた伝統と、
先鋭的テクノロジーの双方を共存させることで、時代が求める新しい衣服を提案する」
という考えがあります。
これはブランド内外問わず優秀なスタッフとの共同作業により生まれるもので、
「イッセイ ミヤケ」に限らず、同グループのブランドにも見られる特徴です。
伝統を受け継いでいくことはもちろん、
環境問題など時代のニーズを配慮した素材開発、
新しいもの作りにも着手しているイッセイ ミヤケ。
日本を代表するブランドとして誇りですね。
ちなみに、イッセイ ミヤケといえばプリーツが有名です。
工程はプリーツの生地を裁断して仕立てるのではなく、
服の形を先に縫製してからプリーツ加工することで、
特有の綺麗なシルエットを作ることに成功し、世界をあっと言わせます。
その後、ツイストと呼ばれるプリーツ加工にも展開していきますが、
これはプリーツに不規則な「しわ」を作り出したものです。
この特殊技術により生まれるプリーツは、型が崩れなく、
移動など持ち運びにも適しています。
さらに86年、米誌「TIME」(1月27日号)の表紙を飾り、
「Changing Clothes(衣服の変革): Issey Miyake」というタイトルで、
その考え方が多面から掘り下げられました。
同誌には、99年の特集(8月23?30日号)で
「二十世紀にもっとも大きな影響を与えたアジアの20人」の1人として紹介されています。
2009年7月、幼年時代に原爆を体験した三宅一生は、
プラハでの演説に感銘を受け、ニューヨーク・タイムズ紙に原爆に関する記事を寄稿。
これまで原爆について語ることはめったになかったが、
原爆時を振り返りつつ「オバマ大統領が核戦争をなくすという目標に向かって
動いてくれることを願っている」と語りました。
日本の歴史と共に歩んできたともいえるイッセイ ミヤケは
服飾という手段で表現してきたアーティストでもあるのですね。
ファッション