流行あれこれ《ナ~ハ》
≪ナ行≫
●ニュートラ
日本において、1970年代の半ばから1980年代前半にかけて流行したスタイルで、ブームの中心は女子大生や若いOLでした。キッカケとなったのは当時続々と創刊され始めたファッション雑誌の「anan」が、関西の山の手(神戸)発のお嬢様ファッションを取り上げ『ニュートラ』と名づけたことでした。その後、同様にファッション雑誌の「JJ」が特集を組んだところ、更にブームになり全国的に広がっていきました。「神戸発信のニュートラディショナルファッションスタイル」と言うことから「ニュートラ」と略されますが、あくまでも和製造語のため、英語のnew traditionalとは関係ありません。また、関東では横浜元町発の「ハマトラ」というスタイルが流行しました。
基本的なスタイルは、ブレザースーツ(ブレザーと共地のスラックスを組み合わせたスーツ)や、プリントワンピースにカーディガン等をベースアイテムとし、海外有名ブランドのアクセサリーやバッグ、スカーフなどを組み合わせるといったものでした。ブランドはグッチ、フェンディ、セリーヌ、エルメス等が主流でした。
●ニュー・トラディショナル(new traditional)
極めてファッション性が高く、∃ーロッパ感覚を取り入れたアメリカのファッションで、より現代的で斬新な感覚を加味したアメリカン・トラディショナルのことを指します。
●ニューヨークコレクション(New York Fashion Week)
1962年にアメリカン・デザイナーズ協議会 (CDFA) が発足されて以来、ニューヨークで開催されているプレタポルテのコレクションです。他のコレクションに比べて、現実の生活を意識したキャリアのための実用的な服が多いのは特徴的です。
ちなみに、ファッション・イベント全体を「コレクション」と呼ぶのは日本だけで、世界的には "Fashion Week" と言います。
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≪ハ行≫
●パタンナー
和製造語です。日本においては、デザイナーをアシストする役割だという解釈がほとんどだそうですが、フランスなどのヨーロッパ諸国ではデサイナーとパタンナーは同格であり、著名なデザイナーの陰には優れたパタンナーありと言われるほど重要な存在になっています。役割は、デザイナーのイメージしたデザイン画を元に服飾・ファッションの型紙を引くことを専門とする人で、正しくはパターン・メーカー (pattern maker)と言います。また、パタンナーをmodelist(モデリスト)、modellista(モデリスタ)、デザイナーをcouturier(クチュリエ)、stilista(スティリスタ)とも言います。イタリアでは日本と近い感覚の位置関係のようです。
●ハマトラ
横浜トラディショナルの略で、1970年代後半のニュートラから派生した独自のファッションスタイルです。ニュートラ同様ファッション誌がブームの火付け役となって広まっていきました。中心となっていたのは、山手のフェリス女学院などの名門女子大に通う女子大生たちで、横浜元町が発信地です。言わば、女性版アイビールックで、山の手の女性らしさと可愛らしさが加わった清潔感あるお嬢様スタイルでした。
基本スタイルは、トレーナーに白のレーシーニット(レースのように多くの穴があって透けて見えるニット)のストッキング、ポロシャツ、ベスト、カーディガン、ミニ丈の巻きスカートにハイソックスの組み合わせ、と言ったような独特なスタイルです。また、「三種の神器」と言われ、「フクゾー」の洋服、「ミハマ」の靴、「キタムラ」のバッグは定番ブランドとして必須アイテムだったようです。
また、関西の山の手、神戸から発信されたニュートラとは対抗意識もあったようでした。
●パリ・コレクション(Paris Fahion Week)
年2回、フランスのパリで開かれる服飾ブランドの新作発表会です。「パリ・プレタポルテ・コレクション」では3月に秋冬物、10月に春夏物が約2週間の日程で発表され、「パリ・オートクチュール・コレクション」では1月に秋冬物、7月に春夏物、「メンズコレクション」も2月と7月に開催されています。これらを総称して「パリコレ」と言っています。
世界の有名なプレタポルテのコレクションは主にミラノ・パリ・ロンドン・ニューヨーク・東京の5カ国5都市で開催されます。なかでもパリ・コレクションは一番の規模を持ち、その年のファッションの流行が左右されるため注目度は非常に高いです。
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●パンクファッション(Punk Fashion)
1970年代後半にロンドンの若者のファッションから生まれました。ベースとなったのはセックス・ピストルズと言うパンク・ロックのステージ衣装でした。日本では、ヴィヴィアン・ウエストウッドの取り扱いアイテムがそのままパンク・ファッションのようなイメージをもたれているようですが、実際はほとんどが自作の衣装で、誰でも真似のしやすい簡単でシンプルなものだったようです。
現在のパンク・ファッションのイメージはきついメークに派手な色で逆立ったヘアスタイル、モヒカン、スキンヘッドなどと鋲付の黒い革ジャンとスリムなパンツ、装飾はチェーン、安全ピンと言ったような反抗的で攻撃的なものだと思われがちですが、このようなスタイルは1980年代にイギリス郊外で大流行したパンク・リバイバル、ハードコア・パンク以降に定着してきたと言うことです。パンク・スタイルといってもファッションとしてのジャンルが確立したもので、必ずしもパンク・ファッションを好む人がパンク・ロックを聴くとは限らなくなりました。
●ファストファッション(fast fashion)
ここ5年ほどの間に急速に使われ始めた言葉です。ファストフードのように「早く安い」事を目的として確立されつつある衣料販売の業態です。その時に求められているファッショントレンドをすばやく取り入れ、普段使い用のリアルクローズを短い期間で大量生産し、低価格で提供するグローバルな衣料販売チェーンのことを指しています。
主なブランドは「H&M」「ZARA」「FOREVER21」「GAP」「リミテッド」等で「ユニクロ」よりも企業規模は大きく、グローバル化されています。
●ファッションショー(fashion show)
大きなものは日本では『コレクション』、海外では『ファッション・ウィーク(fashion week)』と言われます。服飾の作品発表や、流行の発信や販売促進などを目的とし、モデルに服を着せて観衆に提示します。
もとは上流階級向けにオートクチュールのショーが行われていましたが、戦後先進国に新たに増えてきた富裕層に向けてプレタポルテのショーが行われるようになりました。その後、中産階級向けの服飾市場が拡大してきたため大量生産が必要となり、卸売業者や小売業者に向けての新作発表を目的としたショーが行われるようになりました。そのため、オートクチュールやプレタポルテのファッションショーは、ファッションデザイナー及びファッションブランドの芸術的作品の発表の場としてのショーになって行きました。
一方、近年の日本では、中産階級の若者向けの服(リアル・クローズ)を対象としたファッションショーが、有料の興行として成立してきました。
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流行あれこれ《カ~タ》
≪カ行≫
●カジュアル(casual)
もともとは正式ではない略式の状態を指す形容詞でしたが、今では普段着としてのファッション全般を指す言葉として定着していますね。対義語はフォーマル(formal)。カジュアルファッションは、着ている本人も見ている相手も、互いに堅苦しくない雰囲気をもたらし、リラックスできるファッションです。
●カラス族
カラスのように全身黒ずくめの服装で身を覆った若者達の俗称です。
当初は1960年代半ばに現れたアイビールック(アメリカの大学生に見る伝統的な服装)の若者たちのことをこう呼んでいました。一般的に知られているのは、1980年代前半の山本耀司(デザイナー、イベント・プロデューサーとして有名)や川久保玲(現代ファッションを代表するカリスマ的デザイナー)などに代表されるDCブランドのモノトーンルック(白と黒の服装)を着ている人々の呼び名です。
また、「青森ねぶた」に乱入した集団や、若い女性を勧誘して風俗店を斡旋するスカウトマンの事もこう呼んでいましたが、共通点は黒ずくめのファッションです。
●ギャルソンヌルック(仏:garconne)
ギャルソンヌとは1922年頃パリで大評判になった小説「ラ・ギャルソンヌ」から生まれた新語で、仏語のギャルソン(男の子)を女性形にした”少年のような女性”という意味で、当時続々と出てきた活発で若い働く女性たちの総称となりました。そして、この小説を基にして生まれたシンプルで活動的な服装が流行しました。フラットなバストにショートボブ(おかっぱをさらに短く、少年風のイメージにカットしたもの)のヘアースタイル、細身で直線的なシルエットのテーラードスーツやドレス、膝下丈のスカートなど、これまでの女性らしさを強調したスタイルとは異なる、新鮮な魅力が流行のきっかけとなりました。この時代の代表的なデザイナーは、シャネル、ランバンなどです。
●コンサバ=コンサバティブ(conservative)
「保守的な、控えめな」という意味のコンサバティブの略語です。最新の流行やトレンドに左右されず、ベーシックで控えめなファッションスタイルのことを指します。また、本来の意味からやや外れ、保守的なセンスの中に女性らしいエレガントさを取り入れたファッションのことも指し示すようです。
日本では1975年以降、神戸のお嬢様風スタイル“ニュートラ”(ニュー・トラディショナル)、横浜元町のお嬢様風スタイル“ハマトラ”(ヨコハマ・トラディショナル)ブームが起き、1985年頃のバブル期に入ると、女子大生ブームが全盛になりました。長い黒髪に太い眉、肩パットの入ったかっちりとしたスーツ・ブラウス・ブランドスカーフ・タイトスカート等、赤文字雑誌(JJ、cancam、ViVi、Rayなど)が取り上げたファッションを「コンサバ」と称し、お嬢様(淑女)の必須アイテムとなりました。近年は、コンサバにギャル的センスを取り入れた「お姉系」がブームになり、エレガンスよりもセクシーさを強調するようにもなりました。
対義語は「アバンギャルド」または「コンテンポラリー」。しきたりに囚われない革新的なセンスのモード系、ユニセックス寄りのセンスでラフな衣類を纏うカジュアルなどになります。
●コンチネンタルスタイル(continental style)
コンチネンタルは「ヨーロッパ大陸の」という意味で、紳士服のスタイルに使われる言葉です。一般的にアメリカのスーツに対して、ヨーロッパのスーツモデルをコンチネンタルモデルと特定して呼んでいる場合が多いようです。また、ヨーロッパのスーツやジャケットなどをヨーロピアンスタイルと呼ぶこともあり、アメリカンスタイルと比べると、テーラードなどの第一ボタンの位置が下のほうに付いており、シャープでスリムなラペルラインが多いです。
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≪サ行≫
●渋カジ
バブル期の1980年代後期~1990年代の若者のファッションスタイルで、渋谷の高校生を中心とした「渋谷カジュアル」の略です。また「渋いカジュアル」と言う説もありますが、これはハッキリとした裏づけはなく俗説のようです。
特徴は、それまでに大流行していたDCブランドとはまったく対照的で、白のTシャツやポロシャツ・ストライプシャツ、インポートのストレートジーンズ、紺のブレザー(紺ブレ)、スタジアムジャンパー(スタジャン)、ローファー、モカシン等・・・シンプルなものでした。方向性も様々で、アメリカンカジュアル風、インポートのソフトトラッド風、エスニック風、ウエスタン風といったあらゆるアイテムを自分なりに取り入れたスタイルでした。
●スーパーモデル(a super model)
1980年代後半から1990年代中頃までに活躍したファッションモデルの中でも、ごく限られたトップモデルたちの事です。「スーパーモデルブーム」と呼ばれる社会現象を巻き起こしたこともあります。ハッキリした定義は分からないのですが、トップレベルのファッションデザイナーと共に世界中で活躍し、知名度も高いと言うこと、オートクチュールで活躍していること等が条件として挙げられるようです。つまり本当に厳選された少数のエリートモデルということになりますね。しかし、90年代の後半からは線引きがあいまいになって、トップモデルに対して条件問わずこの名称が使われたり、日本では海外で活躍しているモデルに対してもこう呼ばれることが多くなってしまいました。これが、「スーパーモデル」という名称に陳腐さを与えてしまったようで、この後ブームは終焉を迎えました。
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≪タ行≫
●竹の子族
1979年~1984年にかけて、原宿の代々木公園の脇の歩行者天国(ホコ天)で、ラジカセを囲みディスコサウンドに合わせて踊っていた若者集団の総称です。また、彼ら特有のファッションもここから生まれました。「竹の子ファッション」と呼ばれた衣装は、原宿の「ブティック・竹の子」で売られていたことから付いた名称です。
主に首都圏の中高生が中心になってグループを作っており、個々のグループによってファッションコンセプトがありました。特徴は、原色で大柄な生地を使用したものが多く、古代日本風、チャイナ風、アラビア風、特攻服風と様々でしたが総称して「ハーレムスーツ」とも呼ばれていたようです。シルエット的には上下共だぶだぶで、足首を絞り、アクセサリーはぬいぐるみやリボン、ロングネックレスなどユニークなものが多く、足元は踊りやすいように上履きやカンフーシューズのようなものを履いていました。自作の衣装も多かったようで、個性にあふれていたと思われます。
●DCブランド(a big-name designer or character-goods brand)
1980年代中盤に日本でブームとなった、日本の衣服のデザイナーズブランドとキャラクターズブランドの総称です。しかし、概念としての「デザイナーズブランド」と「キャラクターズブランド」とは内容が異なっていますので、同一視は出来ません。
ブームの発端はファッション雑誌でした。主な雑誌は「anan」「POPEYE」「JJ」等で、雑誌掲載されたブランドで働く販売員は「ハウスマヌカン」と呼ばれ当時の人気職業でした。この現象は日本だけのもので、「コム・デ・ギャルソン」「Y's」「イッセイミヤケ」などを除いたブランドは海外での知名度はほとんどありませんでした。全盛期は1983年~1987年頃までで、セール時にはファッションビルやデパートに朝早くから行列が出来たほどの人気でした。その後は、バブル景気の全盛に伴い「ジョルジオ・アルマーニ」や「ラルフ・ローレン」といった高級輸入ブランドが進出してきた事と、ボディコンブームの到来により衰退していきました。
●トラディショナル・スタイル(traditional styale)
伝統的メンズ・スタイルのことで、米国東部の伝統的スタイルの事を指すことが多く、アメリカン・トラディショナルとも呼ばれます。また、ブリティッシュ系トラディショナルや、日本独自のニュートラなども含めて呼ぶ事もあります。「伝統的・正統派」という意味があり、流行に左右されないテーラードスーツやトレンチコートなどのベーシックなデザイン、またはウールやカシミアなどの素材を用いたものを総称したりもします。略してトラッドとも言います。
細かく分ければ、アメリカの場合はエレガントなヨーロピアンタイプとは対照的で全体的にスポーティで機能的な雰囲気を持ち、ブレザー、チェック柄のパンツ、ボタンダウンのシャツといった組み合わせが一般的な感じです。ブリティッシュ・トラディショナルは肩幅の広いたっぷりめのジャケットと、ゆったりしたプリーツのパンツといったシルエットが特徴的で、タータンチェックを使った、オーソドックスなものが多いです。どちらも国民的なファッションとして定着しているスタイルです。
●トレンド(trend)
トレンディー(trendy)は形容動詞。ファッション、マーケティング、経済動向分析などの分野でよく使われ、一般的には時代の趨勢、潮流、流行のことを指します。
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流行あれこれ《ア行》
以前流行したスタイルを模して≪○○年代スタイル≫と言うこともありますが、
もとになったスタイルが昔風なだけで実際はその時代に合うようにデザインしなおされて新しい流行となっていきます。
しかし、その基となっているスタイルがどのようなものだったのか分からない事ってありませんか?
今回は、”ファッション用語”と言うと大げさですが、現代に至るまでのファッションスタイルについて少し調べてみました。
≪ア行≫
●アイビールック(the Ivy(-League)look)
1950~60年代頃の、アメリカ・アイビー・リーグ(米国北東部にある名門8大学の一群)の学生のファッション、ライフスタイルを指してこう呼ばれたことが始まりです。
アイビー・リーグは、1937年に結成されたフットボール連盟の事を表す言葉として、ザ・ニューヨーク・ヘラルドのスポーツ担当記者が命名したものです。
登録された8校は、いずれもレンガ造りの校舎とそこに生い茂る蔦(アイビー)がシンボルとなっていました。
各校ともアメリカのエリートを育成する学校として名高く、生徒達は家柄も良く優秀な頭脳の持ち主で、将来は社会の指導者的な立場となる為、服装は保守的で、オーソドックスで、伝統的でありながらも着易く、活動的なものでした。
それが、英国トラディショナルをベースにした、アイビーモデルでした。
これがファッションとしてアイビールックと言われるようになったのは1955年のことでした。
日本では、アイビールックで銀座の「みゆき通り」をたむろしていたので、「みゆき族」などと呼ばれていた人たちもいました。「アイビールック」は、ブレザーとボタンダウンシャツをベースにした学生のファッションスタイルで、今でもボタンダウンに拘りを持っている人が多いようです。
●アウトレットストア(an outlet store)
「売れ残りの在庫品を大量に仕入れて、安売りをする店」と言うのが大儀のようですが、最近の動向はそうでもなさそうです。もともとは1980年代に、アメリカの流通業界から誕生した新しい流通業(小売業)の形態で、「高級ブランド品」(百貨店などで高額でも販売可能なもの)や「メーカー品」(メーカーのブランド名を表示したもの)の衣料品やアクセサリーなどの、流行遅れ商品や通販のクーリングオフ品、実用上は問題のない欠格品(いわゆる「半端もの」「訳あり品」「棚ずれ品」など)を処分するために、工場や倉庫の一角に「アウトレットストア」と呼ばれる在庫処分店舗から始まりました。
これが転じて発生したのがアウトレットモール(outlet mallまたはoutlet center)で、複数メーカーの直販店舗を一同に集め、多数のブランドや業種を揃えた利便性で購入者の選択幅をモール全体で拡大しています。
アウトレット店舗には、メーカーなどが自社企画品や自社生産品の直接販売を行う「ファクトリー・アウトレット」と、小売店がメーカーから仕入れた在庫品を販売する「リテール・アウトレット」の2種類があります。
日本では1993年に埼玉県入間郡大井町(現・ふじみ野市)にアウトレットモール・リズムが開業したのが最初でした。
その後、地方を中心に建設が進み、今では全国に40ヶ所以上のアウトレットモールが続々と誕生しています。
ファッション
●アバンギャルド(仏:avant-garde)
ファッションとしては先端的、前衛的を意味し、過去の概念を打ち破ったような革新的、奇抜なものを指しますが、あくまで正統性があり高い評価の対象となります。
フランス語では軍隊の前衛部隊のことを言い、フランスで起こったダダイズム(あらゆるものの既成の価値を否定した破壊的運動)やシュールレアリスム(超現実主義で驚きの中に最大の美がある)などの芸術革命運動のことを指しました。
●アメカジ=アメリカンカジュアル(American casual)
広義にはアメリカ風の衣料品、またその着こなしのことで、狭義には1960年代の日本で流行したアイビールック(後のカジュアルトラッド、アメリカントラディショナル)を指すこともあります。
明るく、開放的なカジュアルルックのことで、ヨーロピアンカジュアルと対比的に使われています。
一般的にはアイビー調のキャンパススタイルやカリフォルニア調のスポーツルックなどで、アメリカの大学生を手本にし、カジュアルでも清潔感のある学生らしさを感じさせるスタイルが特徴です。
代表的なアイテムとしてはジーンズ、チノパン、スウェットパーカー、ローテクスニーカーなどがあり、他にサープラスと呼ばれる軍から払い下げられた衣料などもあります。
特にジーンズはアメリカンカジュアルの枠を越えて、定番のボトムスとしてグローバルに普及しています。
●アメトラ=アメリカントラディショナル(American traditional)
「アメトラ」という表現は「アメカジ」同様、日本独自の表現です。
元々はアメリカ東部で生まれた伝統的な服装の総称ですが、60年代にブームとなった、アイビールックやアイビーリーグモデルのスーツなどを指して呼ぶこともあります。
また、コンチネンタルスタイルやブリティッシュトラディショナルなどと対比的に使われたりもします。
アメリカントラッドはイギリスの伝統的なスタイルの影響を受けアメリカで形成されたスタイルです。安定したライフスタイルを表現し、流行に左右されることがなく保守的かつ、ノスタルジックなものでした。
ファッション
●イタリアンカジュアル(Italian casual)
イタリア調のカジュアルファッションの総称で、アメリカンカジュアルとは対比的で大人のカジュアルのイメージが強いのが特徴です。イタリアのミラノを中心とするカジュアルファッションなので、地中海風の鮮やかな色使いや大胆なデザインがメインになっています。スポーティーでカラフルなファッションが多いです。
●インポートブランド(an import brand)
海外から輸入されたブランド商品のことを言います。
●ウエスタンルック(a Western look)
アメリカ西部に見られるカウボーイやカウガールの服装から生まれたファッションで、カウボーイハットやウエスタンブーツ、ウエスタンシャツ、フリンジ付きのウエスタンジャケットなどが代表的なアイテムです。
また、アメリカインディアンのスタイルでインディアンルックもこの中に含まれたりします。
●エンパイアスタイル(empire style)
ナポレオン第一帝政(1804~14年)に見られたクラシックスタイルのことで、フランス語ではアンピールスタイルと言います。このスタイルは、ウエストを絞ってスカートを大きくふくらませたロココスタイルと異なり、古代ギリシャやローマの影響を受けた、細く直線的なシルエットでハイウエストやパフスリーブの付いたドレスが特徴です。短めのジャケットやショールなどとの組み合わせが見られます。
●オートクチュール(仏:haute couture)
フランス語で「特注の高級仕立て服」の事を指し、注文を受けてから造られる一点物のオーダーメイド服の事になります。高級洋裁(店)とも訳されます。
ファッションビジネス界では、「サンディカ」と呼ばれるパリの高級衣装店(オートクチュール)組合(La Chambre Syndicale de la Couture Parisienne)に所属している店舗で造られた商品のみがこう呼ばれます。
そして、パリとローマで年に2回(1月と7月)行われる「オートクチュール・コレクション」は、この組合に所属しているメンバーとメゾン(店)のみが参加でき、メゾン専属のデザイナーが顧客のために創作デザインを発表し販売するため、一般の注文服店や既製服店とは区別されています。
義務としてショーを行い招待客やジャーナリストに公開しなければならず、ここから流行が生み出される事もあります。
ファッション
ファッションの歴史 Part.2
一方日本でのファッションとはどういった経緯をたどったのでしょうか。
まず、容易に想像できるのは「歴史が浅い」ということです。
というのは、欧米からの影響を受けて取り入れられたファッション、いわゆる「洋服」に限定して考えると、150年程度しか経っていないということになりますね。
日本で服装の西洋化が広まるようになった直接的な要因は1858年の日米修好通商条約だと言われているようです。
この条約により各地の港が開かれ、役人や通訳など直接外国人と交渉をする立場の人々を中心として広まっていくことになりました。
以前、1543年に種子島へポルトガル船が漂着した時から鎖国までのしばらくの間にも、一部の大名などには西洋の服飾は流通しており、江戸時代末期には長崎の出島などでは特別珍しいものではなかったようですが、全国区という意味合いでは条約以降でも良いかと思います。
日本においての洋服の大量生産のキッカケは戦争でした。記録に残っている限りでは、1864年、禁門の変を理由に長州征伐の兵を挙げた幕府が、その時の軍服を西洋式にすることを決めたというのが初のようです。
小伝馬町の商人である守田治兵衛が2000人分の軍服の製作を引き受け、試行錯誤しながらも作り上げたということです。また、断髪令により髪型も従来の髷から散切り頭となっていきました。
その後しばらくは、小規模ながらも各地に洋服の貸し出し店や洋服販売店ができるようになり、1871年に陸軍や官僚の制服を西洋風に改めることを定めた天皇の勅諭(太政官布告399号「爾今(自今:じこん)禮服ニハ洋服ヲ採用ス」)が発せられた以後、警官・鉄道員・教員などが順次服装を西洋化する事となっていきました。
やはり各国と同様普及の始まりは政府発信のようですね。
ファッション
★日本でのファッションの変遷(女性編)
一方女性間での洋服の普及は男性服に比べると遅れているようです。
明治維新(諸説あるため1850年代前後とします)以来の文明開化の波は、日本人の洋装化を促進させたとはいえ女性服においては看護婦、女学生などの制服に取り入れられたのみでありました。
鹿鳴館風俗が日本女性の洋装の始まりだとする説がありますが、これらは舞踏会などのための社交服であり、日常の生活服ではなかったという点で、かならずしも一般的な現象とはなり得ませんでした。
日常服としての洋服は、大正の終わりから昭和の始め(1920年代)にかけて一般女性にも浸透していきましたが、本格的に広く着られるようになったのは第二次世界大戦後のことでした。
1923年の関東大震災では和服を着用していた女性の被害が多く、和服が動作に支障をきたしたということから、翌1924年に「東京婦人子供服組合」が発足し、女性の服装にも西洋化が進むキッカケとなりました。このときからそれまでの独自の着物文化にかわって急激に洋服が浸透していくことになります。そして明治維新以来、繊維産業の発展に力を注いできた日本には、すでに洋装化への下地が固まっており洋裁ブーム時代が到来することになりました。
1927年9月21日には、当時の銀座三越において日本国内初のファッションショーが開催されました。
これは驚いたことに、一般からデザインを募ったファッションショーでした。
また、日本橋にあった「白木屋」デパート(旧・東急百貨店日本橋店の前身、現在の「コレド日本橋」)で発生した大規模火災では、やはり和装の人々に被害が多かったという事で、従業員の服装を西洋式に改める百貨店が増加し、それに伴い大衆の服装の洋式化も徐々に広まっていきました。
一方、1930年代後半から1940年代前半にかけては、戦時体制により繊維・衣服の統制が極端に進み、さらに百貨店自体の売り上げが低迷期に入りました。1945年には衣料切符制度がとられ、国民服と呼ばれる統一規格の洋服が配給され、数少ない配給衣服の着用での生活を余儀なくされることになります。絶対量が少なかったため、和服をもんぺに作り替えて着用していたようです。
戦争による壊滅的な打撃を受けた日本は、敗戦後はアメリカを主とする連合国からの援助に頼ることになります。そして、食料など様々な物資不足、衣服不足により闇市でも入手できない立場の大衆は、1948年からGHQの放出衣料による古洋服の着用を始めました。
皮肉にもこの事は、「占領軍ファッション」として中古アメリカ衣料への傾倒が起こり、いわば戦後初めての流行感覚が生まれたと言えるでしょう。
ナイロンをはじめ化学繊維の統制撤廃の後、化学繊維を使用した衣服が作られ始めるのは1951年頃になります。日本の繊維産業はすべて手探りの状態から、ビニロンやテトロン(ポリエステルの商品名)、レーヨンなどの化学繊維の開発、製造を始めました。
1953年には、当時ヨーロッパで隆盛を極めたフランス人デザイナーのC・ディオールが来日し、海外ファッションの導入が始まりました。しかし実際は基本的に注文品で、いわゆるオートクチュールでしたので、日本国内では繊維不況のため大衆の手には入りにくいものでした。
1958年には、同じくフランスのP・カルダンが来日。一転して量産のプレタポルテの時代が到来します。当時、オーダー服と量産既製服の占める割合は7対3程度にまでなっており、
この後1960年代以降から衣料の大量消費の時代が始まることになりました。
とはいえ、修繕した継ぎのある衣服は、家庭での普段着や作業着として当たり前でした。
以降、化学繊維を中心とする繊維産業の飛躍的発展によって戦後の乏しい衣料時代は過ぎ去り、1970年代頃には、生理的・物理的には豊かな衣生活が送られるようになっていきました。
そして、大衆消費社会の到来、伝達方法のスピードアップ、余暇時間の増大は、テンポの速い生活様式を出現させ、既製服への依存は必須となりました。さらに、質的向上に伴って衣生活には多様性が要求されるようになり、ファッションへの関心は急激に高まりました。
そして今日の日本では、世界的レベルの日本人デザイナーが活躍し、ファッション産業は日々多様化する衣生活に対応しつつ、大衆社会と切り離せないものとなりました。
現代生活のなかでのファッションは、私たちの衣生活を物理的に充足すると共に、精神的充足の役割を担っていると言えるでしょう。
ファッション
ファッションの歴史 Part.1
ファッション、服装、衣装、服飾・・・身に着ける衣服を形容する言葉はいろいろありますが、このブログは「ファッション」という単語に限定しようと思っています。というのは、誕生や歴史を語ろうとしたときにどこまで遡れば良いのか非常に悩むのです。人類が他者を気にして何らかの物を身につけるようになってからの歴史だとあまりにも範囲が広すぎるので、「ファッション」の本来の役割である「流行」を意識した服装が登場してからのことを中心に書いていこうと思います。
服飾史をなぞっていこうと思ったのですが、「服飾」だと小物なども入ってくるようなので結構際限なくなってしまいますし、そもそもタイトルが『ファッション』ですからね。
そういう観点からすると、ファッションの発生と誕生には社会の側にそれなりの条件が必要になってきます。
たとえば、古代社会や中世封建社会における階級制は生活を規制するので、自己表現をすることは困難です。こういった社会では、人々は伝統・慣習に従って生活するため、ファッションの発生は難しいでしょう。ところが階級制や身分があいまいになってきた近代社会、それも都市部においては、新しいスタイルは比較的自由にうまれたはずです。
したがってファッションは、近代辺りから発生し、民主的社会においてより活発に展開していったのではないかと思われます。そして、経済的・時間的余裕はさらにこの傾向を促進させ、売買の活発化により平均的な最低物資が充足され、日常生活がある水準に達した段階で人々はファッションを積極的に活性化させていったのではないでしょうか。
ファッション
西洋史における近代、即ちルネサンス期以降欧米各地での市民権運動が活発になったことから、衣服を「ファッション」として認識するようになってきたと見て良いのではないかと思います。
今でも、定期的に新ファッションの発表を行っている地域に限定し、簡単に変遷をたどってみます。
●パリ(フランス)
15世紀以来、国家的産業としてファッションを保護し続けたフランス政府の意向を受け、宮廷社会の衣装を創作する芸術的感覚と高度な技術を生み出すための地盤を築いたパリは、18世紀までに「パリ・モード」の名声を手中にしていました。19世紀になるとシャルル・フレデリック・ウォルトによりhaute-couture(オートクチュール)が誕生し、以来ポール・ポワレ、ココ・シャネル、クリスチャン・ディオール、クリストバル・バレンシアガ、イヴ・サン・ローランなど、現在まで名を残すような才能あふれるデザイナーが登場し次々と新しい流行を生み出すようになりました。そして1960年代以降、preta-porter(プレタポルテ)がファッションの主導権をとるようになった今日も、ファッションの中心地として、常に世界をリードし続けています。
●ロンドン(イギリス)
18世紀以来、パリとロンドンはファッションのライバルとして競い合ってきました。19世紀になると、パリの方が、ナポレオン3世の后であった美貌のユージェニー皇后をファッション・リーダーに擁しリードを奪いました。一方、ロンドンの社交界には皇太子の友人であり、伊達男とうたわれたブランメルが登場し、ダンディズムの素となると共に、メンズ・ファッションに大きな影響を与えました。19世紀にほぼ近代的様式が確立された紳士服は、以後しだいに形の厳しさと正確さとを増し、ロンドンはその中心地として今日に至っています。
●ミラノ(イタリア)
今では近年パリと肩を並べるほどのファッションの発信地となったミラノですが、ルネサンス以後、綿々と高度な職人的技術と芸術的センスを受け継いでいながら、イタリアの国家的統一の遅れといった政治的事情によりファッションの中心地として主導的立場にたつまでには至りませんでした。しかし従来から、フランスファッションの生産基地として徐々に力を蓄えていたこともあり、1970年代以降ミラノ・コレクションを開催し、独自的で日常的高品質ファッションを生み出して注目を浴びるようになりました。
●ニューヨーク(アメリカ)
19世紀なかば以来、ミシンの発明と南北戦争とにより紳士用既製服を産業化したアメリカでは、その後20世紀初めにかけては婦人用既製服産業を成長させました。以来ニューヨークは、オートクチュールからプレタポルテへと移行していたヨーロッパ各地の流れに従い急激な成長を遂げ、今日の既製服産業最大の中心地となっています。
このように現在世界には、歴史的背景と環境の特徴を生かしながらファッションを生み出しているいくつかの都市があります。しかし、今後ますます発達する情報伝達メディアにより、相互に影響を与えあうことによって、世界的に均一化の方向をたどるのではないかと思われます。
