ヨウジヤマモトについて
ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)は山本耀司が設立したファッションブランド。
山本耀司は、1943年、東京生れ。慶応義塾大学法学部、文化服装学院卒業。
81年に発表したパリコレクションで当時タブーとされていた“黒”を前面に押し出したショウを発表し、“黒の衝撃”と称され一大旋風を巻き起こす。賛否両論の評価を受けつつも、時代に流されないその反骨精神はモード業界に革命をもたらす。
69年「装苑賞」「遠藤賞」を受賞。72年ワイズ設立。
山本のデザインは、彼の打ち出したアシメトリックなカッティング、身体と服の間に空気をはらむようなシルエットは、ボディコンシャスな時代のファッションの慣習を覆すものだった。素材感でみせるレイヤードやドレーピングで見せる独自のスタイルは、ファッションの美意識を書きかえ、伝統的な男性服のスタイルを女性服にとり入れるなど、彼のコレクションはジェンダーの固定観念を打破したと言われる。
89年ヴィム・ヴェンダースによるドキュメント映画「都市とモードのビデオノート」発表のほか、ワーグナーのオペラ、ピナ・バウシュ舞踊団、北野武監督映画などの衣装制作も手がけるなど、幅広い活躍を続けている。
02年にはアディダスとの共同ブランド「Y-3」のクリエイティブディレクターに就任、ファッションとスポーツという2つの世界を融合し、革新的なスタイルを打ち出す。
08年4月には北京にてY'sのショウを発表。
「TALKING TO MYSELF」(02)、「A MAGAZINE」(04)など関連刊行物多数。94年フランス芸術勲章「シュヴァリエ」受章、05年フランス国家功労勲章「オフィシエ」受章、他08年ロンドン芸術大学より名誉博士号を授与される。
2010年4月に、「YOHJI YAMAMOTO THE MEN 4.1 2010 TOKYO」を東京の国立代々木競技場 第二体育館にて開催。2011年、Webサイト限定で販売するブランド「s’yte(サイト)」を発表。
Y-3
ヨウジヤマモトのライン
ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)
ワイズ(Y's)
ヨウジヤマモト プリュス ノアール(Yohji Yamamoto + NOIR)
襟の種類 part.1
● レギュラー・カラーシャツ
その時代の最も標準的なカラースタイル。それがレギュラーカラーである。”時代の”と言うことは、流行によって多少の動きがあるということだが、現在のレギュラーカラーの定義は衿ポイントの長さ(のど元から衿の先端=衿先)が70~75ミリ、その開きの角度(スプレッド)は75~90度、衿足の高さ30~38ミリとされている。
● セミワイドスプレッド・カラーシャツ
75~90度のレギュラーカラーのスプレッド角度よりもやや広く、100度以上あるのがセミワイドカラー。ワイドカラーに次ぐ広さで長めの衿羽と高めの衿足をもっているのが特徴。
● ワイドスプレッド・カラーシャツ
ワイドスプレッドカラー(ワイドカラー)は、レギユラーよりやや長めの衿羽をもち、衿足の高さもやや高め。そのためスプレッドは100~120度前後、広いものでは180度と広くなる。 一般的には英国調のスーツにコーディネートされる。
ファッション
● ロングポイント・カラーシャツ
ロングポイントは9~10センチの長い衿先が特徴。レギユラーとほぼ同角度のスプレッドをもつが、衿が長い分、幾分ロングポイントのほうが狭い印象になる。タイ幅も細めのものがよく合う。
●ショートポイント・カラーシャツ
ショートポイントカラーはスモールカラーとも呼ばれ、その衿先は6センチ以下と短い。開き角度は80度。ロングポイントとは正反対に、スポーティでカジュアルなイメージ。衿が短いので、ボリューム感のあるノットは禁物。ネクタイは必ずプレーンノットでコンパクトにまとめて、バランスを整えるたものがよく合う。
●クレリック・シャツ
色無地や縦ストライプの身頃と袖に、白い襟がついているのがクレリックシャツ。クレリックシャツはドレスシャツの中でもドレッシーなものとされている。その理由は、白とピンクとか、白とブルーといった身頃との組み合わせが、いかにもおしゃれな印象を与えるからだ。こうしたシャツの成り立ちから、カラーディファレントシャツ、もしくはカラーセパレーテッドシャツとも言う。
● ボタンダウン・カラーシャツ
ボタンダウンの衿元は、ネクタイを締めたときには全体が軽く持ち上がり、ノーネクタイで第1ボタンをはずせば、衿上部がロ一ルして、下部にいくにしたがつて身頃に沿う美しい形をつくり出す。ボタンダウンシャツの最高級品として知られるブルックスのオウンメイクの場台、この衿の形は「フルロール」と呼ばれる。この「ロール」の形をいかに美しく見せるかが、着こなしのポイントだ。
袖の種類 part.2
●スラッシュド・スリーブ
袖口にスラッシュ(切り込み)が入った袖のことです。
●スリーブレス
袖が無いものの総称です。日本では「ノースリーブ」と言います。
●セット・イン・スリーブ
正常のアームホールの位置に袖を付けることを言います。またその袖のことです。
袖付けの最も基本的なつけ方です。
ファッション
●セミラグラン・スリーブ
肩の途中から斜めにラグラン・スリーブの感じを取り入れた袖や、肩山を深く肩側に移した
袖のことを指します。
●タックド・スリーブ
袖山にタック(つまんで縫ったひだ)を入れた袖のことです。
ファッション
●ダブル・スリーブ
二重に重ねた袖のことです。
細くぴったりとした下側の袖と、フレアーが少し入った短めの上側の袖で、構成されることが
多いようです。他に、筒状の袖を2枚重ねて袖口から下側の袖がのぞくようにしたものも
あります。
●チキンレッグ・スリーブ
鶏の脚のように、上部が膨らんで、袖の先が細くなった袖のことです。
●チューリップ・スリーブ
チューリップの花の形に似ていることからこの名前が付きました。
袖山の部分の、前と後ろの袖をチューリップの花弁のように重ね合わせた短い袖のことを
言います。
●ツーピース・スリーブ
外袖と内袖の2枚の布で作られた袖のことです。
スーツやコートに良く使われます。
●ティアード・スリーブ
「ティアード」とは段になったという意味で、フラウンスを重ねたり、横に切り替えテギャザーを
寄せたりして、段々にした袖のことです。
●テレスコープ・スリーブ
望遠鏡の筒状のものが二重になった袖のことで、下側の袖がカフスのようにのぞいて
いるもののことを言います。
ダブル・スリーブの一種です。
袖の種類 part.1
●アメリカンスリーブ
首の根もとから袖ぐりの下まで斜めに大きくカットしたノースリーブの型デザインの一種
です。後ろにも前と同じ形の身頃が付いているのが特徴です。
正式には「アメリカン・アームホール」と言います。
●ウィングスリーブ
肩からゆったり流れる様な感じになった袖口の長い袖のことです。
鳥の翼(ウィング)のように袖口で大きく広がった袖が特徴です。
●ウェッジ・スリーブ
「ウェッジ」は「くさび」の意味で、袖付けが腕の付け根より身頃側にくさび形に深くカット
された袖のことです。
袖付けのゆとりがあり、着脱が楽で運動もしやすいのが特徴です。
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●キモノ・スリーブ
身頃から続いて裁ち出された袖で、和服の袖に似ていることからこう呼ばれます。
袖は短いものから長いものまで様々です。
●キャップ・スリーブ
肩先にキャップをかぶせたようなごく短い袖のことです。
そで下はほとんど無く、肩先が隠れる程度のものです。
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●ケープ・スリーブ
ケープをはおったような感じの、肩から腕にかけてゆったりした袖のことです。
肘丈くらいで短めで袖口が広がっているものが多いのが特徴です。
●ケープレット・スリーブ
ケープ・スリーブより短めのもので、夏のドレスなどに見られます。
「ケープレット」の「レット」は「小さい」という意味があります
●シース・スリーブ
「シース」とは「鞘(さや)」の意味で、ほっそりとして、腕にぴったりとした長い袖のことです。
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●シャツ・スリーブ
男性用のワイシャツなどに見られる袖山が低く袖付けの縫い代を身頃側に倒したカフス
付きの袖のことを言います。
●スパイラル・スリーブ
「スパイラル」とは「らせん状の」という意味で、布を渦巻状に縫い合わせて作った袖のこと
です。 女性の毛皮のコートに見られます。
●
スプリット・ラグラン・スリーブ
ラグラン・スリーブで、肩の縫い目から前部が普通袖で、後ろがラグラン・スリーブに
分かれた袖のことです。男性用のスプリングコートや、レインコート、ジャンパーなどに
用いられます。
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モードとシルエット変遷 part.2
≪1940~1960年代≫
●1940年代
~ニュールック誕生~
1945年に戦争が終わると、パリではすぐにオートクチュールコレクションが復活し、1947年にはクリスチャン・ディオールがデビューします。
贅沢に布を使った女性らしいシルエットのドレスは、戦争でおしゃれ心を忘れかけていた女性に強いインパクトを与えました。
~代表デザイナー クリスチャン ディオール~
クリスチャン・ディオールは、1946年にメゾン設立。翌年発表した作品が「ニュールック」として大流行し、第二次世界大戦直後の世界中の女性に夢を与えました。
以降10年間、Hライン、Aラインといった優雅で洗練された女らしいスタイルを次々とパリから世界へ発信し、1950年代モードをリード。
ディオールの死後、イヴ・サンローラン、マルク・ボアン、ジャンフランコ・フェレがクチュリエとして活躍し、現在はジョン・ガリアーノがデザイナーを務めています。
●1950年代
~バブルドレスからサックドレスまで~
これ以降1950年代は、パリのオートクチュールが世界のファッションに多大な影響を与えます。
立体裁断の技術で知られるクリストバル・バレンシアガやオードリー・ヘップバーンの映画衣装で知られるユベール・ド・ジヴァンシーなど、きら星のごとく男性デザイナーが活躍します。
彼らは女性の理想像を服で追及し、美しく構築的なシルエットを生み出しました。
ただし、これらは社会進出した女性には支持されず、引退していたシャネルが戦前同様の着やすい服でカムバック、男性デザイナーも機能的なデイドレスを提供していくこととなります。
ディオールがデビュー10年で急逝すると後を継いだイヴ・サンローランが、1958年に台形でウエストをしぼらない若々しいデザインで脚光を浴びます。ロンドンではマリー・クワントが若い女性向けの商品で人気となりました。
~代表デザイナー クリストバル・バレンシアガ~
バルーンスカートのドレスを発表。「はさみの魔術師」と呼ばれ立体裁断を得意としたバレンシアガらしい、巧みなカッティングが施された構築的な一着です。
クリストバル・バレンシアガは、スペインで高い評価を得た後、1937年パリにメゾン開設しました。
1950~1960年代、厳密なカットと縫製技術により、バルーンシルエット、チュニックドレスといった革新的なフォルムを次々と生み出します。
デイドレスのスーツも秀逸で、その後のスーツの原型となりました。パリ・オートクチュールの黄金期を築いた巨匠の一人でもあります。
●1960年代
~ジオメトリックラインのコスモルック~
戦後復興を果たした1960年代には、技術革新が進み大衆の購買力も高まり、大量生産大量消費が加速されます。
カラーテレビも登場し、かつてない情報化時代がやってきました。大衆文化が花開き、中でも若者向けのファッションであるミニスカートやTシャツ・ジーンズなど、かつてない自由でユニセックスな服装の時代となります。
シンプルな服の流行は、ファッションビジネスの世界でも大量生産大量消費の既製服全盛時代を推し進めたのです。
ストリートではすでに広まりつつあったミニスカートをアンドレ・クレージュがオートクチュールで初めて発表し、ピエール・カルダンやサンローランは、プレタポルテ(高級既製服)ブランドを開発。
パコ・ラバンヌは金属やプラスチック板で、宇宙的で露出度の高い作品を発表。それらはいずれもウエストを締め付けない単純なシルエットのミニのワンピースでした。
アメリカではルディ・ガーンライヒが、女性の解放感をアヴァンギャルドな作品で表しました。
ベトナム戦争でアメリカの北爆が1965年に始まると、それに反対するヒッピーのライフスタイルが世界の若者に影響を与えます。
彼らは、アメリカ的、西欧的、キリスト教的な価値観に異議を唱え、さまざまな民族衣装や古着の重ね着、Tシャツにジーンズ、素足にサンダル、伸ばし放題のひげと髪といった反社会的な風体をしました。
これらはヒッピーファッションとして消費されていくこととなります。
彼らのドラッグ文化はサイケデリックアートを花開かせ、これもファッションに取り入れられるように。
エミリオ・プッチの派手なプリント柄も人気でした。
~代表デザイナー ピエール・カルダン~
ピエール・カルダンは、1950年パリにメゾン開設。
1960年代、特に1964年の「スペースエイジ」など斬新なアイディアと宇宙的なデザインで一時代を画します。そのデザインは飛行機、劇場、レストランなど多方面に広がり、企業家としての活躍も有名。
~代表デザイナー アンドレ・クレージュ~
「クレージュ・スタイル」と呼ばれるパンタロンスタイルのスポーティで機能的なデザインを発表。
アンドレ・クレージュは、1961年パリにメゾン開設。1965年オートクチュールとして初めてミニスカートを発表、ミニ旋風を起こします。
未来的なデザイン、セカンドスキンというコンセプトのモダンで若々しい作品は、世界的に大きな影響力を持ちました。
~代表デザイナー パコ・ラバンヌ~
パコ・ラバンヌは、1966年春夏コレクションでプラスチックの小片を針金でつないだ未来感覚のドレスを発表。
保守的なオートクチュール界に変化をもたらしました。金属や紙など、布以外の素材の服で「モード界のカーペンター」の異名を持っています。