アイテムあれこれ≪ア行≫
以前からこのブログではファッションの流行や用語について書き連ねていますが、同様にアイテム、デザインについて書いてみます。
見てはいるけれど、実は意味を知らなかったり・・・ということもありますよね。
ファッションを楽しむ上で、覚えておくと得するかもしれませんよ。
≪ア行≫
●アスコットタイ
礼装用のネックウエア。モーニングコート(昼間の正装として用いる男の礼服)に用いられる幅広のネクタイ。本来は結んでタイ・ピンで留めるが、一重結びにしてスカーフのように用いるのもこう呼びます。
英国、アスコット・ヒースの王室所有競馬場の名に由来し、貴族たちがモーニング・コートにこのタイを用いた正装で出席したことから一般に流行するようになりました。
19世紀の中頃に登場したと言われ、単にアスコット、または、アスコット・クラバット、日本では蝉(せみ)型タイとも呼びます。
●アフタヌーンドレス
午後のフォーマルの場に着用される服の総称。特にワンピースのドレッシーな婦人ドレスをさすことが多い。
アフタヌーンドレスは女性にとっての正式な昼間の礼服として着用されます。
肌を見せるような透ける生地などは避けるのが原則で、丈は少し長めのものが一般的。
現代では貸衣装の店に数多く取り揃えてますので、自分で所有しなくてもレンタル衣装を利用される人が多いようです。
●アロハシャツ
ハワイが発祥地で派手なプリント柄のオープンカラー(ラペル部分が身頃から続いてテーラー風に見える)の夏用のシャツ。
ゆったりしたシルエットで裾を出して着るカジュアルなタイプのシャツです。
アロハはハワイのことばで「アイ、親切、歓迎、別れ」などの意味。
もともとは日本の浴衣(ゆかた)地を使ってシャツとしたところから始まったといわれています。
別の呼び方で、ハワイアンシャツ、ワイキキシャツ、トロピカルシャツとも呼ばれます。
●イブニングドレス
一般的には「夜会服」の意味。男性、女性かかわらず、夜間の社交の場で用いる礼服を指します。
女性のドレスを指すことが多く、夜間の礼服としてはローブデコルテ(格調高く、えりを大きく開け、腕、背中や胸の部分を大きく開けた、丈が長い優雅なドレス)などのロングドレスが代表とされ、イブニングガウンとかイブニングフロックなどの別名で呼ばれています。
今までは上流社会や富豪層がが一般的だったが、今や、定年後の社交的な熟年層も夫婦で夜の社交界などに出向いて、奥様がイブニングドレスを着用して、参加される人も。
●ウエスタンシャツ
アメリカ西部のカウボーイ達によって着用されてきたカジュアルなシャツ。
もともとは作業のためのシャツで山形のショルダーヨーク、カフス部分の変形切替え、ドットボタン(金属のアンティークやシルバーなどの打ち付けボタン)など独特な個性のあるシャツでした。
素材的には丈夫なデニムやダンガリーのやや厚手のもので作られることが多く、長袖がほとんどで夏以外の3シーズンに主に着用されています。
現代でもボトムはデニムのパンツが主流になっており、それのトップスでウエスタンシャツを合わせると、アメリカ西部のイメージが見えてきます。
●ウエスタンジャケット
アメリカ西部のカウボーイたちが愛用しているスエード素材のカジュアルジャケット。
西部劇の映画などで見られるカウボーイが着用いているジャケットが定番的なウエスタンジャケット。
ショルダーヨークや袖、裾などに長いフリンジ(房飾り(すさかざり)で布端に毛糸を束ねてつけたり、布端の地糸をすぬいて縁飾りをとる)を付いているのが大きな特徴です。
現代でもそれほどフリンジが長くないがウエスタンジャケット風の物も見られます。
素材はスエードが中心だが、合皮や普通の生地でもウエスタン調のデザインが目に留まることもあります。
●ウォッシャブルスーツ
水洗いができるスーツ。ポリエステル(石油や天然ガスなどを原料にした合成繊維)の糸で織られた男性用の指すことが多く、扱い方が簡単なことや値段が安いということから、夏向きの2着目のスーツやユニフォームなどに需要が多くなっています。
家庭での洗濯機でも簡単に洗えるように、芯地や裏地などの付属に配慮して、ポリエステル糸でしわもつきにくくなっています。
また、ウォッシャブルシャツやパンツなども家庭の洗濯機で気軽に洗えるアイテムが多いのも特徴です。
●エンブレム
ヨーロッパ王侯貴族の家紋にあたるマークのこと。
自分のファミリーを象徴するために、楯や旗などに用いた楯形の紋章でライオン、鷹、王冠、百合の花などを図案化したものが多くみられます。
現在では学校や所属クラブのシンボルマーク的な扱いでブレザーの胸ポケットに配される胸マークをさすことも。
他に、アームズ、チャージ、クレスト、ブレイゾン、ヘラルドリー、インシグニア、ブレイゾンリーなどさまざまな別称、異称があり、ドイツ語ではワッペンと呼びます。
●オーバーオール
上下がつながっている「つなぎ服」の意味。
上着の部分に胸当てと、肩から吊るストラップに尾錠(英語でバックルのこと、ベルト上の止め具)がついた、前掛け方のパンツをいい、胸、脇、腰などに工具入れようの機能的なポケットが多く付いているのが特徴。
もともと、汚れ防止のために作業服として、普通のパンツの上にはいていたため、オーバーオールという名が付きました。
デニム地が丈夫なため多く、オーバーオールジーンズとか、サロペットジーンズ、またはカーペンダージーンズなど呼ばれています。
●オープンカラー
開き衿、開襟のことで男女とも開襟シャツとして普及。
オープンカラーは、シャツの形としては新しいものでで、1945年、世界第二次大戦終了以前では、シャツのボタンをはずし、胸元をみせるなど、失礼な格好として日常みかけることはありませんでした。
服装の改良、合理化にともない、ワイシャツの上ボタンを一つはずし、涼しくカジュアルに着ることが流行。
そのスタイルを、シャツの構造に取り入れ、はじめから衿を開いて着るシャツが誕生。
夏、胸元の暑さから逃れるため、特に男性のあいだで人気が高まりました。
●オープンシャツ
オープンカラーを特徴とするシャツの総称で、開衿(かいきん)ともいいます。
シャツカラーの一種でラペル部分が身頃からの続きの開き方となってる衿。
スポーツカラーと呼ばれるコンバーティブルタイプ(両用型)衿型になっているスポーツシャツで開襟シャツとも呼ばれます。
裾が水平にカットしてあるところからかつては夏用のビジネスシャツとして多くのビジネスマンが着用していました。
アロハシャツやイタリアンカラー(衿腰が低く、1枚断ちでそのまま前立てにつながった衿)のシャツなども含まれます。
イッセイ ミヤケの始まりと歴史
今まで、各国を代表するファッションブランドの始まりと歴史を紹介してきました。
今回は本国日本を代表するブランド、イッセイ ミヤケのヒストリーを紹介したいと思います。
●ブランドのはじまり
1970年に三宅一生が「三宅デザイン事務所」を設立、
71年、ブランド「ISSEY MIYAKE(イッセイ ミヤケ)」として
ニューヨークにてコレクションを発表しました。
●イッセイ ミヤケについて
三宅一生(Issey Miyake)は1938年生まれ。
多摩美術大学図案科在学中の60年、
三宅は、日本ではじめての世界デザイン会議開催に際し、
「衣服デザインが含まれていないのはなぜか」と投書。
衣服をファッションではなく、デザインとして捉える視点に注目が集まりました。
大学卒業後、第1回コレクション「布と石の詩」を発表。
その後、フランス、パリに渡り、
シャンブル・サンディカル・ド・ラ・クチュール・パリジェンヌに入学し、
その後、ギ・ラロッシュ、ジバンシーのメゾンに入ります。
68年、パリ5月革命に遭遇したことが大きな契機となり、
一般の人々のための服づくりを志します。
69年、ニューヨークへ渡り、ジェフリー・ビーンのもとで経験を積みます。
パリではエレガントな技巧、ニューヨークでは機能と実用性を重視する服作りを学びました。
ファッション
東京に戻り、70年に「三宅デザイン事務所」を設立。
1971S/Sシーズン、「ISSEY MIYAKE」としてニューヨークにてコレクションを発表。
73年からは、パリにてプレタポルテ・コレクションを発表。
70年代、日本はもちろん、世界の伝統的な技術を受け継ぐ職人のもとを訪れ、
失われつつある糸、染め、織りなどの技術を研究、
モダンなデザインとして蘇らせる協働制作プロセスを確立しました。
三宅の服づくりは、創業当初から現在に至るまで
「一枚の布」という考え方に貫かれていますが、
この考えのもと、一本の糸から、オリジナルで素材を開発しながら、
身体と、それをおおう布、その間に生まれる「ゆとり」や「間(ま)」
の関係を追求しているのが特徴です。
80年代、身体のフォルムと動きの研究を続ける中で、
プラスチック、籘、紙など、布以外の素材を用いた服づくりに挑戦します。
83年には「ボディワークス展」を開催。これについて三宅は、CBSのインタヴューで
「人々がこれまでとは異なる視点で"ボディ"について考えはじめた時期でした」と語っています。
88年よりプリーツへの取り組みをスタート。
93年、「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE(プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ」をスタート。
このブランドでは裁断・縫製後にプリーツをかける「製品プリーツ」手法を用い、
機能・汎用性・美しさをかね揃えた服を展開。
これまで約400万枚が世界中で愛用されています。
98年、藤原大(Dai Fujiwara)と共にデジタル・テクノロジーを用いて
「A-POC =A Piece Of Cloth(エイポック)」の開発をスタート。
一本の糸、一枚の布が服になるまでの革新的なプロセスを確立しました。
ファッション
2000S/Sシーズンのコレクションより「ISSEY MIYAKE」ブランドを
デザイナー滝沢直己(Naoki Takizawa,ナオキ・タキザワ)が引継ぎました。
2004年、財団法人三宅一生デザイン文化財団を設立。
アーカイブ作りやデザイン文化交流、
若手の作家・アーティストなどを中心とした人材育成に尽力しています。
2007S/Sを最後に滝沢直己がISSEY MIYAKEブランドでのデザイナーを退任。
2007A/Wコレクションより藤原大がISSEY MIYAKEブランドの
クリエイティブディレクターに就任し「A-POC INSIDE」を掲げて引継ぎます。
現在、ISSEY MIYAKE INC.にて「ISSEY MIYAKE (women/men)」
「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」「HaaT」「me ISSEY MIYAKE」の5ブランドを展開。
グループ会社のA-net Inc.では「Plantation(プランテーション)」
「sunaokuwahara(スナオクワハラ)」「TSUMORI CHISATO(ツモリ・チサト)」
「ZUCCa(ズッカ)」「FINAL HOME(ファイナルホーム)」
「Ne-net(ネ・ネット)」「mercibeaucoup,(メルシーボークー,)」の7ブランドを展開。
ファッション
ブランドには、「熟練した職人達により受け継がれてきた伝統と、
先鋭的テクノロジーの双方を共存させることで、時代が求める新しい衣服を提案する」
という考えがあります。
これはブランド内外問わず優秀なスタッフとの共同作業により生まれるもので、
「イッセイ ミヤケ」に限らず、同グループのブランドにも見られる特徴です。
伝統を受け継いでいくことはもちろん、
環境問題など時代のニーズを配慮した素材開発、
新しいもの作りにも着手しているイッセイ ミヤケ。
日本を代表するブランドとして誇りですね。
ちなみに、イッセイ ミヤケといえばプリーツが有名です。
工程はプリーツの生地を裁断して仕立てるのではなく、
服の形を先に縫製してからプリーツ加工することで、
特有の綺麗なシルエットを作ることに成功し、世界をあっと言わせます。
その後、ツイストと呼ばれるプリーツ加工にも展開していきますが、
これはプリーツに不規則な「しわ」を作り出したものです。
この特殊技術により生まれるプリーツは、型が崩れなく、
移動など持ち運びにも適しています。
さらに86年、米誌「TIME」(1月27日号)の表紙を飾り、
「Changing Clothes(衣服の変革): Issey Miyake」というタイトルで、
その考え方が多面から掘り下げられました。
同誌には、99年の特集(8月23?30日号)で
「二十世紀にもっとも大きな影響を与えたアジアの20人」の1人として紹介されています。
2009年7月、幼年時代に原爆を体験した三宅一生は、
プラハでの演説に感銘を受け、ニューヨーク・タイムズ紙に原爆に関する記事を寄稿。
これまで原爆について語ることはめったになかったが、
原爆時を振り返りつつ「オバマ大統領が核戦争をなくすという目標に向かって
動いてくれることを願っている」と語りました。
日本の歴史と共に歩んできたともいえるイッセイ ミヤケは
服飾という手段で表現してきたアーティストでもあるのですね。
ファッション
流行あれこれ《ハ~マ》
●ファッションデザイナー(a fashion designer)
服飾・ファッション分野のデザインを専門とする人を指します。自分の名前でブランドが確立されている人だけでないのは勿論のこと、企業専属の人、インディーズの人、フリーの人などその仕事状態は様々です。基本的にスタイル、色などのイメージを考え、具体的なデザイン画にまとめるまでの仕事をしています。そして、そのデザイン画を型紙におこしていくのがパタンナーです。
ただし、これといった仕事の流れが決まっているわけではないので、デザインのイメージだけを考え、実際にデザイン画にするのは助手(モデリスト)にまかせる人もいれば、デザインから素材の選択、裁断、ミシンがけまですべてやっている人もいます。 注文服(クチュール)のデザイナーは、ミシンがけから仕上げまで、自分で、あるいは直接人を指導しておこなうのがふつうです。着る人の個性を尊重し、その意見も取り込みながらデザインを決め、仮縫いをして、着る人それぞれに合った服を仕上げていきます。既製服(アパレル)の場合は、デザイナーが製品になるまで責任をもってチェックすることもありますが、大概は組織の仕事の一部としてデザインを担当するといったケースが多くあります。 いずれにしても、服が完成するまでの工程をうまくコントロールするとか、最終的な着こなしまでを考えられるファッションセンスと、イメージを的確に表現できるデザイン力が必要な職業です。
●ファッションモデル(fashion model)
ファッションブランドの衣服、装飾品を身に付け、ブランドのイメージとして広告やファッション雑誌の被写体、またファッションショーなどに出演することを職業としているモデルのことを言います。 雇用形態としてはモデル事務所への所属や他のマネージメント会社への所属と言う形になります。雑誌の専属モデルと言われている場合でも、実際は全てマネージメント会社を介しての契約と言うことになります。
ファッションモデルの寿命は5年~10年程度だそうで、その後は女優やタレント、デザイナーなどへ転身をしていくようです。 日本のファッション雑誌では、1990年代以降ストリート系を中心に、プロのモデルではなく街頭スナップや読者モデルを多く取り入れたことがありました。このためモデルの出演料が低下してしまい、プロのモデルが減少するという傾向が見られました。
●フォーマルウェア(a formal dress[suit])
フォーマル(正式の、公式的な)な場で着用する服装の総称。正装。ブラックフォーマルとカラーフォーマルがあり、ブラックフォーマルは黒を中心とした冠婚葬祭などで着用し、カラーフォーマルはパーティの華やかな場所での服装です。定められた衣服を着ることによって、敬意や謙譲の意を表現する事が出来ます。 また、正式な社交服として、イブニングドレス(男女を問わず夜間の社交の場に用いる礼服)などもあります。
ソーシャルウェア(社交服)よりも少し格が上のイメージで、昼間と夜間の区別、正装と準礼装、略礼装の区別、TPOに応じた着こなしなどいろいろとルールがあります。例として、昼間のアフタヌーンドレス、夜間のイブニングドレス、ディナードレスなどがあります。 何が正装に当たるかは文化や状況によって異なります。一般的には19世紀ごろのヨーロッパにおいて確立した服飾意識が全世界的に通用するとされていますが、他民族が集まるような場であっても、その民族固有の衣装のうち礼式にかなったものを着れば礼装としてみなされています。また、参加メンバー、場所、パーティーのランク、主人の社会的な地位や身分などによっても異なったりします。
ファッション
●プレタポルテ(仏:pret-a-porter)
フランス語でpret(プレ)は「用意が出来ている」、purter(ポルテ)は「着る」という意味になり、a(ア)は不定詞を導く前置詞となります。英語に直訳するとready to wear、あるいは、ready to carryにあたり、「そのまま着られる」「そのまま持ち帰られる」という意味になります。
まとめると「すぐに着られる既製服」ということになるわけですが、一流のデザイナーがデザインを手がけ、仕立てをした既製品にのみ使われます。日本では、フランスの著名デザイナーによる輸入高級既製服というイメージがあったため、単純に「既製服」とは訳さず「高級既製服」と訳されました。
流通としては、オートクチュール(高級注文服、高級オーダーメイド服)は、限られた個人からの注文のみを受け、一点一点手作業で制作した服を顧客に渡すという流れですが、プレタポルテ(高級既製服)は基本的には、卸売から大量受注して小売する流れとなります。 「プレタポルテ」以前の既製服は、既製品という意味を持つコンフェクション(confection)と呼ばれていましたが、これらの言葉が「大量生産された粗悪な安物」というニュアンスを持っていたため、それらと区別するために1945年に「プレタポルテ」という言葉が生まれました。今では、年に2回開催されるファッション・ショーや展示会によって、世界のファッションをリードする立場となっています。
●ベビードールルック
ベビー(baby)ドール(doll)
つまり「赤ちゃん人形」で、子供っぽくあどけない雰囲気、または小悪魔的なイメージを持つ女性や、そういったニュアンスのファッションスタイルを指しています。また、似たような意味でナイトガウンの一種であるベビードールを基調にしたファッションの事もこう言います。 リトルガールルックのひとつで、ルーズウエストでフレアーの入ったゆったりしたワンピースに、フリルやレースの飾りなどを付けたものや、シュミーズを短くしたようなドレスを指します。ルーズなシルエット、ショート丈、衿・胸元・袖のフリルというデザインは基本ですがバリエーションは豊富です。 基本形を作ったデザイナーはクリストバール・バレンシアガ、その後は50年代のマギー・ルフ、80年代のジャン・ポール・ゴルチエ、ヴィヴィアン・ウエストウッド、山本耀司などがロリータ、ベビードールブームを引き起こしました。
●ボディ・コンシャス(body conscious)
略して「ボディコン」(和製英語)です。consciousは「~を意識する」という意味で、ニット素材などを使用し、体にフィットするデザインでボディラインを強調した服で、元々は女性の自己主張、解放を目指すファッションの動きの一つでした。 出始めは1981年のミラノ・コレクションにおいてアズディン・アライアが発表したドレスでした。その後、ピンキー&ダイアンなどが更にシルエットを強調したデザインを発表しました。日本でのブームは1980年代のバブル期で主に遊び着としての流行でした。
ファッション
≪マ行≫
●マニッシュ・ルック(the mannish look)
マニッシュとは「男のような、男気取りの」の意味で、マスキュリン・ルック(masculine look「男性的な」)とも言われます。フェミニンと対極にある言葉で、女性のファッションスタイルに関して使います。女性が男性的な装いをすることによって女性らしさを表現するスタイルです。 20世紀初頭から女性の社会進出が増えてきたことにより確立されました。 テーラード・スーツのような細身のパンツ、ジャケットにシャツやベストを組み合わせネクタイを結んだり、ヘアスタイルもボーイッシュにしたりして、男性と対等に職場で活躍するキャリアウーマンのスタイルとして定着していきました。
●ミニマリズム(minimalism)
最小限(Minimal)と主義(ism)を組み合わせた用語です。1960年代、アメリカから登場した考え方で、ファッションだけでなく造形美術の分野で主流を占めた傾向です。 80年代のゴージャスで豪奢なデザインに対して90年代はシンプルなデザインが流行し、極限までシンプル化させていきました。服から無駄な要素をすべて省き、最小限にすることにより本来人間のもつ感覚を回復させ、内面性を浮かび上がらせようとしました。
●みゆき族
1964年頃に、日本で流行したファッション文化です。 男性はバミューダパンツや「VAN」のジャケットなど、アイビーを崩したスタイル、女性は白いブラウスにフラットな靴、ロングスカート、リボンベルトを後ろ手に締めて、頭にスカーフを巻いたり首にネッカチーフを巻き、紙袋やズダ袋を脇に抱えたスタイルで、銀座のみゆき通りを闊歩していた事が名前の由来です。 「VAN」とはヴァンジャケット社のブランド名で、このロゴが入った紙袋を持って歩くだけでおしゃれだとされ、アイビーファッション信望者の中では神様的存在でありました。 1970年代も人気は衰えず、他には「JUN」などの似たようなアルファベットブランドが増えていきました。
●ミラノコレクション(Milan fashion week)
1976年以来イタリアのミラノで開催されているコレクションです。メンズの「ミラノ・モーダ・ウォーモ」とレディースの「ミラノ・モーダ・ドンナ」がそれぞれ夏と冬に年2回ずつ行われます。 多くのデザイナーが新作を発表する場で、宣伝のためにバイヤーやジャーナリストやカメラマンを招待しますが、ビジネスとしてのコレクションなので一般の人は見ることが出来ません。このコレクションの次の週にパリ・コレクションが行われます。
ファッション
ファッションの歴史 Part.1
ファッション、服装、衣装、服飾・・・身に着ける衣服を形容する言葉はいろいろありますが、このブログは「ファッション」という単語に限定しようと思っています。というのは、誕生や歴史を語ろうとしたときにどこまで遡れば良いのか非常に悩むのです。人類が他者を気にして何らかの物を身につけるようになってからの歴史だとあまりにも範囲が広すぎるので、「ファッション」の本来の役割である「流行」を意識した服装が登場してからのことを中心に書いていこうと思います。
服飾史をなぞっていこうと思ったのですが、「服飾」だと小物なども入ってくるようなので結構際限なくなってしまいますし、そもそもタイトルが『ファッション』ですからね。
そういう観点からすると、ファッションの発生と誕生には社会の側にそれなりの条件が必要になってきます。
たとえば、古代社会や中世封建社会における階級制は生活を規制するので、自己表現をすることは困難です。こういった社会では、人々は伝統・慣習に従って生活するため、ファッションの発生は難しいでしょう。ところが階級制や身分があいまいになってきた近代社会、それも都市部においては、新しいスタイルは比較的自由にうまれたはずです。
したがってファッションは、近代辺りから発生し、民主的社会においてより活発に展開していったのではないかと思われます。そして、経済的・時間的余裕はさらにこの傾向を促進させ、売買の活発化により平均的な最低物資が充足され、日常生活がある水準に達した段階で人々はファッションを積極的に活性化させていったのではないでしょうか。
ファッション
西洋史における近代、即ちルネサンス期以降欧米各地での市民権運動が活発になったことから、衣服を「ファッション」として認識するようになってきたと見て良いのではないかと思います。
今でも、定期的に新ファッションの発表を行っている地域に限定し、簡単に変遷をたどってみます。
●パリ(フランス)
15世紀以来、国家的産業としてファッションを保護し続けたフランス政府の意向を受け、宮廷社会の衣装を創作する芸術的感覚と高度な技術を生み出すための地盤を築いたパリは、18世紀までに「パリ・モード」の名声を手中にしていました。19世紀になるとシャルル・フレデリック・ウォルトによりhaute-couture(オートクチュール)が誕生し、以来ポール・ポワレ、ココ・シャネル、クリスチャン・ディオール、クリストバル・バレンシアガ、イヴ・サン・ローランなど、現在まで名を残すような才能あふれるデザイナーが登場し次々と新しい流行を生み出すようになりました。そして1960年代以降、preta-porter(プレタポルテ)がファッションの主導権をとるようになった今日も、ファッションの中心地として、常に世界をリードし続けています。
●ロンドン(イギリス)
18世紀以来、パリとロンドンはファッションのライバルとして競い合ってきました。19世紀になると、パリの方が、ナポレオン3世の后であった美貌のユージェニー皇后をファッション・リーダーに擁しリードを奪いました。一方、ロンドンの社交界には皇太子の友人であり、伊達男とうたわれたブランメルが登場し、ダンディズムの素となると共に、メンズ・ファッションに大きな影響を与えました。19世紀にほぼ近代的様式が確立された紳士服は、以後しだいに形の厳しさと正確さとを増し、ロンドンはその中心地として今日に至っています。
●ミラノ(イタリア)
今では近年パリと肩を並べるほどのファッションの発信地となったミラノですが、ルネサンス以後、綿々と高度な職人的技術と芸術的センスを受け継いでいながら、イタリアの国家的統一の遅れといった政治的事情によりファッションの中心地として主導的立場にたつまでには至りませんでした。しかし従来から、フランスファッションの生産基地として徐々に力を蓄えていたこともあり、1970年代以降ミラノ・コレクションを開催し、独自的で日常的高品質ファッションを生み出して注目を浴びるようになりました。
●ニューヨーク(アメリカ)
19世紀なかば以来、ミシンの発明と南北戦争とにより紳士用既製服を産業化したアメリカでは、その後20世紀初めにかけては婦人用既製服産業を成長させました。以来ニューヨークは、オートクチュールからプレタポルテへと移行していたヨーロッパ各地の流れに従い急激な成長を遂げ、今日の既製服産業最大の中心地となっています。
このように現在世界には、歴史的背景と環境の特徴を生かしながらファッションを生み出しているいくつかの都市があります。しかし、今後ますます発達する情報伝達メディアにより、相互に影響を与えあうことによって、世界的に均一化の方向をたどるのではないかと思われます。
ファッションについて
ファッションに関するコラムを書いてみようと思い立ち、無謀ながらもページを作ってしまいました。
更新頻度よりも中身を大切に成長させていきたいと思います。
まず最初は、お約束で「ファッション」についての薀蓄を少々・・・
語源はたいていの言葉がそうであるように、「ファッション」もラテン語が語源だそうです。
ラテン語のfactio(ファクティオ)の元の意味は『作り・出来ぐあい』です。その後フランス語のfacon(ファソン)となり、英語のfashion(ファッション)となっていきました。いずれも『流行』や『流行の型』といった意味合いが一番強く、上流階級の慣習、様式を指し示していたようです。さらに『方法』『様式』や、『作り』『型』といった意味も含まれています。また、生活行動の中で、ある一定の時期に、ある価値観に基づく共有できる現象が、少数から多数へと移り変わっていく現象のこともこう呼ぶそうです。
つまり今で言う『服装』のことだけでなく、思想・言語・芸術といった無形のものから、衣食住などの生活様式までもを含む「はやり」を表す言葉であったようですね。
とはいえ、現在では『服装流行』の意味がメインとなっており、ある特定の期間に人気を得て一般に広まったスタイルや、服装の同義語として使われています。
薀蓄ついでに同義語も少し調べてみましたので補足しますね。
フランス語のmode(モード)はfashion(ファッション)の同義語で、イタリア語はmoda(モーダ)、ドイツ語ではmode(モーデ)となります。『流行』を表す言葉としては英語・フランス語共にvogue(ヴォーグ)があります。派生語のfashionable(ファッショナブル)はフランス語ではa la mode(ア・ラ・モード)。スウィーツのネーミングでもお馴染みなので、女性なら誰もが知っている言葉かと思います。英語のfad、boomなどは短期間の流行を指し示し、customとなると流行が定着し長期的な慣習として残ったもののことを言います。
ファッション
人間が「衣服」を「衣装」として身に纏うようになってから、「衣装」というものは人と一体化しその人そのものを表すようになっていますが、個人としての意思表示をする反面、社会に順応する手段としての機能もあり、存在としては矛盾するところがあります。
言い換えれば、最先端を行こうとしたり、人とは違った自己表現をしたいがためにオリジナルの着こなしをするかと思えば、TPOに合わせた着こなしも必要不可欠であり、その場に合った服装をすることで社会に順応し安心感を得るという心理が働くということです。
この対立構造はファッションには必要不可欠なことであり、この現象を繰り返すことによってファッション業界が発展して来たのだと思います。人間の欲求の中にあるアイデンティティーの確立に孤立化や斬新さが加わって新しいファッションスタイルが芽生え、人々の共感を得て一つのファッションが成立する。しかし、この現象が広まりすぎると更なる欲求を求めてまた新しいスタイルを確立しようとする。これが「ファッション」=「流行」の構造となっているのですね。
fashion cycle(ファッション・サイクル)「ファッションの周期」は、発生→伝播(でんぱ)・拡大→頂点→衰退→消滅というプロセスで1つのパターンとなりますが、この周期を時間的に予測することは出来ません。まぁ、当たり前のことですが、その時々によって人々のニーズや次に発生してくる新スタイルの時期など決まっているわけではありませんからね。それにしても近年のファッション・サイクルはだんだん短くなってきているようにも思えます。それに加え、大幅なファッションの転換というよりは、細かい部分での自己主張が多くなってきているような感じですね。
今のファッションを引っ張っている女の子達のパワーと発想の斬新さには目を見張るものがありますね。
ファッションは、人間の自己主張表現の大きな特徴であることは前述の通りですが、人の欲求はとどまる事をしらず、美的・精神的、更には社会的な充足感を得るためにも利用されます。
どうしても女性ファッションを中心に話が進んでしまいますが、女性の存在がファッション業界を引っ張ってきているのは事実ですよね。具体的にスカート、ハイヒールなどは形を変えながらもあらゆるデザインが生み出されました。一見機能的ではなさそうなデザインでも、女性にとっては非常に効果的な衣装です。例えばずいぶん昔のロココ時代のバルーン型のスカートや1900年代初頭の女性的なシルエットのS字型スカートなどです。
こうして変貌していくファッションは精神的にも刺激を与え、活性化の元となっていったのでしょう。そして次から次へと新しい美を追求したことにより、文化として社会現象を引き起こすまでになっていくパワーの源となったのだと思います。
また、ファッションの発展の要因として他に考えられるのは、金銭的な余裕、時間的な余裕、交通・輸送・伝達機関の発達などがあります。
各国の流通が盛んになった20世紀には世界的なビジネスとしてのファッションが確立しました。
アメリカ、フランス、イタリアなどファッションの中心地となっているそれぞれの都市では、歴史的背景や環境により別々の発展をしてきましたが、今ではそれぞれの情報を取り入れ影響を与え合いながら現代ファッションとして全世界共通の発展を続けているのです。
ファッション