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帯の種類②

丸帯 68cm 4m 帯幅は、袋帯の2倍で全通が一般的。おもに花嫁衣裳に用いられる。

掛下帯
(かけしたおび) 27cm 4.2m 江戸時代に打掛を着た女性が、間着の上に締めた帯。繻子(しゅす)に花紋を刺繍した丸帯を文庫結びにした。
かかえ帯 6cm 2.7m 帯の下側に添えて結ぶ。装飾用

袋帯 30cm 4m 帯といえば袋帯といえるほど、振袖、留袖、訪問着からお洒落用の紬まで幅広く使われている。昭和の初期から丸帯に変わり主流となった。帯地には、佐賀錦、糸錦、唐織、金襴、銀襴、綴れ、琥珀、すくいなどがある。

名古屋帯 結びの部分は普通幅、残りは半幅に仕立てた帯。大正末期に名古屋で考案された事からこの名がある。きもの通には欠かせない帯となった。
九寸名古屋帯 34cm 3.6m 帯幅が九寸で、芯を入れて仕立てる。仕立て上がると八寸幅になる。織物では、金銀の錦帯から艶消しの糸錦。染帯では、縮緬や塩瀬の帯がある。
八寸名古屋帯 30cm 3.6m 紬や小紋などのお洒落物には、欠かせない帯。帯芯を入れずに仕立てる。西陣織とともに博多帯が有名である。

 


ファッション

単帯
(ひとえおび) 30cm 4m 綴れや博多帯など地質のシッカリしたものに多い。帯芯などは入れない。羅、紗、絽など夏物に多くみられる。
半幅帯 15cm 3.5m 四寸帯とも呼ばれ、半分の帯幅。ひとえ物と小袋帯のように袋状のものとがある。
小袋帯 15cm 3.5m 博多帯(献上帯)の小袋帯が有名である。
※献上博多帯=幕府への献上品として織られた帯
細帯 15cm 小袋帯より少し長い半幅帯。主に小紋に結ぶ。

合わせ帯
(昼夜帯) 30cm 4m 異なる織物を両面から縫い合わせて芯を入れて仕立てる。片側に黒繻子(くろしゅす)、もう一方に白地、紋、縞、更紗などを使用した帯。腹合帯、鯨帯とも呼ばれた。江戸中期から明治まで女帯の主流であった。

 

 

ファッション

 

 

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襟の種類part.2

● タブ・カラーシャツ
 タブは大きく分けると、スナップ・ボタンで留める「ホックタブ」とループでボタンにひっかけて留める「ループタブ」の2種類。ただし、ループの変形パターンが数種あり、4・5種類という所が正解。
 

●ピンホール・カラーシャツ
 タブカラーと違うのは衿の前面に、金や銀のピンの頭が見える所。またピンホールのピンがネクタイの結び目を軽く持ち上げる効果もあるので、全体から受ける印象は、タブカラーよりもドレッシーである。別名アイレットカラーや、ピンカラーと呼ばれている。
 


●  ドゥエボットーニ(デュエボットーニ)・シャツ
 
 いまやシャツの定番となりつつある、ドゥエボットーニ。衿の高さを競っていた時代に、衿元が曲がらないようにボタンを付けた事が名残だといわれている。だからとにかく衿が高い! ボタンを外すだけでかなりカジュアルになるので、オン・オフの切り替えにはもってこい。

ファッション
 
● イタリアンカラーシャツ 
 
 イタリアンカラーの特徴は、何といっても衿から第一ボタンにかけてできるきれいなロール。第一ボタンをはずして着た時に、そのあいた感じが何ともいえない衿元を演出してくれる。決してだらしなくはならない、そしてエレガントさは失わない。ノーネクタイ専用のややカジュアル度の高いシャツでありながら、非常にエレガントなシャツといえる。

ファッション
 

●ラウンド・カラーシャツ
   
 ラウンドカラーには、その種類によってユニークな名がついている。衿先が長いものは、うさぎや犬の耳に形が似ていることから、ラビッドカラーやドッグイヤーズカラーと呼ばれる。特にラウンドカラーはその形状から、顔の丸さが強調されるため、丸顔の人は注意が必要。
 


 
●マイターカラーシャツ
  マイターとは、額縁の隅のような繋ぎ目、つまり斜めつぎのことで、本来は額縁の角のように合わせた衿(上左)のことを指す。最近では上右のような切り替え衿(ストッパーカラー)のことも、マイターカラーと呼んでいる。ボタンが半分隠れた、切り替えしの衿のボタンダウンシャツで、おしゃれを決めてみてはいかが。 

 

●  オープンカラーシャツ  
  オープンカラーシャツを直訳したのが「開衿シャツ」。オープンカラーの特徴は、最初からネクタイを締めることを考えていない衿。だから衿足がなく、たいていは衿を開けているのが基本。もっとも、小さなボタンとループが付いているため、一応衿元まで留めることはできるようになっているのではあるが...
 

ファッション
 

 

デザインあれこれ≪ア行≫


≪ア行≫


●アシメトリー
アシメトリーとは左右非対称の意。
左右のデザインが違っていたり、左右のポケットの位置が違っていたり、パンツやスカートなどでよく見かけます。

アシメトリーの反対にシンメトリーがあるが、アシメトリーのほうがデザイン的には個性的、若者には好まれるようです。

インテリアにも左右対称でないものが多くあるが、デザイン的にも感覚的にもお洒落な雰囲気があり、デザイナーショップやキャラクターショップなどに数多く商品が並んでいる。


●Aライン
クリスチャン・ディオールがコレクションで発表して以来、何度も流行を繰り返しており、もはや基本ラインのひとつで、AラインのワンピースやAラインのスカートなどは定番。常にいろいろなアイテムにも使われるラインです。

アルファベットのAの字型のシルエットです。上のほうが小さく、下へ行くほど裾広がりのデザイン。


●アップルライン
アップルは「広い、広大な」の意。全体にゆったりしたシルエットでルーズフィットの新しい表現としてよく使われます。

体のラインが出なくて、ゆったりと楽に着こなせるシルエットで、ジャケットやコート、ワンピースやスカートなどにも分量の多い服も見かけます。
今日では全体にスリムラインやコンパクトラインが多いため少なくなっているシルエットでもあります。

 

ファッション

 

●アローライン
クリスチャンディオールが1956年春夏コレクッションで発表したライン。

フランス語でいうと、リーニュフレーシュを英語に直したものが「矢の線」と訳されます。
ちょうど矢のように上から下までまっすぐなラインを言う。現在でもワンピースやスーツ、ジャンパードレスなどにもアローラインの服があります。

また、fラインとも呼ばれることもあり、これは横から見たときにアルファベットの小文字のfを思わせるところからきたもの。

●アンサンブル
アンサンブルとはフランス語で「調和、統一、一緒に」の意味。

ワンピースとボレロ、ワンピースとジャケット、コートとスーツやコートとワンピースなどが同じ生地で、色、柄、デザインなどに統一した組み合わせをいうことが多いですね。


●アースシューズ
大地(アース)を踏みしめて歩く靴といったコンセプトで、人間工学に基づいた、健康に良い靴として1970年代から履かれ出しました。

スウェーデンのアンカルソー女史の創案といわれ、靴の後ろがやや低くなっているゴム製のフラットソールが特徴。
1970年代に日本を含めて世界的ブームを巻き起こした後、一度は市場から消えてしまったが、近年、今風なスタイルやデザインで復活しています。

 

ファッション

 

●イタリアンカラー
ワンピースカラー(台衿が付かないシャツカラー)の代表的な衿型。
衿腰(2枚衿で折り返しより下の部分、首に沿って立っている部分)が低く、1枚断ちでそのまま前立て(前身ごろの明きにつける細長い布やその部分)につながった形のもので、V字型のネックラインに衿をつけ、衿先を角形にした衿です。

また、セーターなどで、Vネックライン(V字型にカットされたネックライン)にポロカラーのような衿をつけたものをイタリアンネックというが、時としてそれをイタリアンカラーと呼ぶことがあります。


●イタリアンシューズ
特につま先が細くシャープな感じでトウや底が薄く、そり返りのある婦人靴や紳士靴をいうことが多いイタリア型の靴の総称。

紳士靴では重厚なつくりの英国型に対比させて、華奢(きゃしゃ)でエレガントなイメージのものをこう呼ぶこともある。
狭義にはイタリア独特の工芸的なタッチが施された靴を指します。トウが四角にカットされたものをこう呼ぶことも。
60年代に流行したイタリアンコンチネンタルスーツに合わせるためにデザインされました。


●ウイングショルダー
肩先に翼(ウイング)のような張り出しが付いた肩線のこと。
アルプスの伝統的なローデンコート(アルプスのチロル地方に見られる伝統的な防寒コート)に見られることからローデンショルダーともいいます。

他に、ウエルテッドショルダー(縁取りのある肩)やオーバーショルダー、フランジショルダー(縁取り飾りを付けた肩)といった名称もあり、フローティングショルダー(肩先が張り出して、身頃から浮き出したように見えることからこの名がついた)、カミシモショルダー、アルパインショルダーとも同義です。

 

ファッション

 

●エプロンドレス
エプロンとドレスの両方の機能を備えた婦人服。ほとんどが胸当てが付き、後ろ明きになり、ウエストはひもやベルトで締め、スカート部分はゆったりとしているのが特徴です。

重ね着の上に着ることが多く、ホームドレス(家の中で着ることを目的とした、ゆったりとくつろげるドレス)として用いられることも。

また、エプロン型をしたスカートやエプロン付きドレスと言う場合もあり、エプロンスカートはジャンパードレスともいいます。
見た目にエプロンぽいこともあるが、組み合わせの仕方しだいでお洒落なドレスに見えることも。

●エポーレット
肩章(けんしょう)また肩飾りと訳されます。

トレンチコートやカジュアルなジャケットなどの肩のところに付くタブ(衣服などの各部につける垂れとか垂れ飾りの意味で、ボタンで留めて機能性を持たせたり装飾的な役割も果す)状の布片をいいます。

もとはフランス語で肩を意味するエポール(epaule)に小さいを意味する指小辞のetteがついてエポレット(epaulette)となったもの。
つまり小さな肩をあらわし、これが英語化してエポーレットと呼ばれるようになりました。エポーレットは軍服のデザインとして18世紀中期から見られます。

 

ファッション

 

 

GAPの始まりと歴史

今までフランスを代表するブランド、イタリアを代表するブランドの歴史を紹介してきましたが、今回はアメリカにスポットを当てたいと思います。
 
アメリカを代表するブランドと言えば、ティファニー、ハリーウィンストンといった高級宝石商が誰もが憧れる有名なメゾンが挙げられますよね。その他にマイケル・コース、トミーヒルフィガーといったブランドもありますが、今回は日本でもファストファッションの代表格としてお馴染みのGAP(ギャップ)の歴史を紹介したいと思います。

また、アメリカファッションの歴史にも少し触れたいと思います。 まずはGAPブランドの始まりから。 GAPは1969年、アメリカのサンフランシスコでジーンズ専門店として設立しました。 世界中で約4000店を持つ非常にグローバルなブランドで、企画、生産、販売まで一貫して行うのが特徴です。


GAPの他に、オールド・ネイビーとバナナリパブリックといったブランドを展開しています。 創業は、1969年、アメリカ、サンフランシスコのジーンズ専門店(リーバイスなども取り扱った)を始めたところにあります。創業者はドナルド・フィッシャー(Donald Fisher)。成長に伴い、衣服、アクセサリー、子供服としてラインナップを増やしていき今のかたちになりました。


ファッション


GAPのコンセプトは「クリーン、オールアメリカン、シンプル、グッドデザイン」で、基本は、トレンドに左右されないベーシックなデザインにありますが、時代の流れ、シーズンによりトレンドを取り入れながらデザイン性の高い製品も展開しています。

GAPの成長はライフスタイル提案型の展開にあるのが特徴といえます。コマーシャルにはミュージシャン、ダンサーなどを起用して、GAPの製品を超えた、ライフスタイル、着ることへの楽しみなど、イメージに訴えたCMや広告を展開。日本でも山手線を丸々ジャックした目立つ広告は見たことがある人も多いはず。ボブディランもCMでコラボレーションしました。

さらにGAPはファッション業界のシステムに、一つの流れを作り出しました。それは、デザイン、製造、物流、販売、マーケティングを自社で一貫して行うもので、このような製造販売のスタイルはSPA型の運営という一つの流れを作り出したのです。この手法で、世界で統一したイメージを作り出し、ライフスタイルの提案をより強固なものとしました。 同様の手法をとるブランドが、スウェーデンのH&M、日本のユニクロ、スペインのZARA、イギリスのトップショップなどにあたります。今ではハイブランドをしのぐほどのファストファッションと呼ばれるメーカーの先駆けがGAPなのですね。


ファッション


では、GAPを生み出したアメリカのファッションに注目してみましょう。

30年代以前のアメリカファッションの主流はパリのオートクチュールのコピー品であり、依然としてパリがアメリカでも強い影響力を持っていました。

1930年代あたりから、アメリカは徐々に自国のファッション、アメリカンスタイルを意識するようになります。 ただ、クリスチャンディオールのニュールックがアメリカでも話題になったように、すぐに移行した訳ではなくパリの影響を受けながらも、アメリカ流の要素を加えるなど、30年代から40年代にかけて、アメリカのスタイルを意識したファッションへと変わっていきます。 そもそも、なぜアメリカンファッションへの移行を意識するようになったのか、変化の背景を見てみましょう。

20世紀初頭から産業合理化、既製服化の動きがすでに起こっていました。この動きの中で、仕立てを前提としたファッションデザインではなく、機械生産を前提とした、量産型のファッションの流れがありました。(デザインもシンプル化します。)
 
30年代からは、ファシズムや共産主義などのイデオロギーが主張される中、アメリカは民主主義を強く強調する必要があり、国としてさまざまな分野のアイデンティティを主張する必要がありました。その一つがライフスタイルであり、ファッションへと影響したのです。国家的なレベルで、アメリカ流のライフスタイル、アメリカ流のファッションが求められていたのです。

また40年代の第二次世界大戦も女性のファッションに大きな影響を与えます。それは中流階級でも、女性が労働をすることが当たり前となり、衣服にも「動き」が求められるようになったからです。このような流れは戦後のアメリカのカジュアルなファッションへと繋がります。 その他、戦時中で言えば、パリのモードが機能していなかったため、アメリカは独自でファッションを作っていかなければいけなかったという要因もあげられるでしょう。


ファッション
 

30年代あたりから百貨店・小売店はアメリカのデザイナーや製品を強く打ち出すようになります。
この流れの中で「アメリカンルック」という言葉が生まれ、このシンボルとして取り上げられたのが、当時最も活躍していたデザイナー、クレア・マッカーデルでした。 クレア・マッカーデルが打ち出したスタイルはスポーツウェア(カジュアルウェア)をベースにした、シンプルかつ性能製の高いファッション。

彼女はヴィオネの影響を受け、バイアスカットを使用した、着心地の良いデザインを追及します。 このようなスタイルの普及にはハリウッド映画も大きく貢献しました。


30年代に活躍した女優、ジョーン・クロフォード、グレタ・ガルボ、キャサリン・ヘップバーンなどが大きな影響を与えます。
マッカーデルはこの時代、衣服の上下が分かれているセパレーツや、キッチンディナードレス(料理ができて来客にも対応できる服)、デニムを使用した服の上からはおるドレスポップのオーバー、ジャージー素材を用いたハイウエストでルーズなベビードールドレス、バレエシューズを日常用の靴に応用したデザインなど、シンプルかつカジュアルなデザインを提案します。


さて、「ジャージー素材を取り入れた」と聞いてピンときませんでしたか?

そうです!

フランスでジャージー素材をいち早く取り入れ、女性をコルセットから開放し活動的なデザインを打ち出した・・・

ココ・シャネルです!


シャネルとマッカーデルの方向性は非常に似ていると言われています。
シャネルが活躍したのが10年代以降。マッカーデルは30年代と時代ははずれていますが、男性用の素材、労働服にインスピレーションを受けている点、スポーツウェア、装飾よりも機能性、シンプル化・・・。
とさまざまな共通点があります。

マッカーデルは20年代、フランス留学の経験があるので、シャネルの影響を少なからず受けているでしょう。


二人の決定的相違点がありました。
それはシャネルはオートクチュールであり、高所得層にフォーカスしたデザインだったのに対して、マッカーデルは既製服を意識し、幅広い層に向けてファッションを発信していた点です。

マッカーデルは既製服の限界・制約の中で、バイアスカットを用いて女性の身体を最大限考慮したデザインを展開しました。 これは60年代に出てくるクレージュとマリークワントのミニスカートに対する考え方の相違点と近しいものがあります。

この相違点こそ、当時のアメリカのライフスタイルから生まれた、アメリカンスタイル、アメリカンウェイの本質を示すものではないでしょうか。パリとアメリカはファッションのスタートラインが全く異なっていたのです。まさにGAPの誕生にもふさわしい背景があったのですね。
 

ファッション

グッチの始まりと歴史

前回はフランスを代表する、ココ・シャネルの歴史を紹介しましたが、今回はイタリアを代表するブランド、グッチの歴史に迫りたいと思います。

まず、ブランドの始まりから。 1921年、グッチオ・グッチがフィレンツェのヴィーニャ・ヌォーヴァ通り(7 Via della Vigna Nuova)に旅行鞄や馬具を取り扱う皮革製品店として創業しました。 創業者グッチオ・グッチ(Guccio Gucci)は1881年、イタリア・フィレンツェ生まれ。彼のコンセプトは「最上の伝統を最上の品質で、しかも過去の良いものを現代に反映させる商品作り」をコンセプトとする。グッチは世界で初めてデザイナーの名前を入れて商品を販売したといわれています。品質保証を示すためです。自らの頭文字をあしらったダブルGのモノグラムは言わずと知れたロゴですよね。今では当たり前の「ブランド名刻印」のはじまりはグッチオ・グッチによるものでした。


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1953年、グッチオの死後、息子アルドが経営の中心となり65年ビットモカシン(グッチといえばこれですね!!)、レディスウェア、70年代に香水を発表し、ブランドのラインナップを増やしましたが、80年代に入ってから、親族間でグッチの運営を巡って血族間闘争に至ります。この影響を受け、グッチのブランドとしての勢いも低迷。闘争の後、グッチオの孫にあたるマウリッツィオの手に渡ることとなります。

グッチの代表作ビットモカシン。この靴は革製品の1ブランドから服飾品全般のラグジュアリーブランドへと大変貌する、同社の方向性を決定付けた商品とも言えます。なぜなら商品の着眼点も時流を先読みした、極めて鋭いものだったから。この靴は明らかに、第二次大戦前後からアメリカの大学生を中心に人気の出だしたローファーをベースにしたもの。

その甲部に例の金具をあしらうことで贅沢さを漂わせ「大人の男性が履いても、子供っぽく見えないカジュアルスリッポン」なる新たなカテゴリーを創造し、言わば「ローファー卒業生」の受け皿を提供したのです。そう、新しいもの好きのアメリカで受けるべくして受けた靴ということです。 グッチはブランド戦略に長けていたというのは言うまでもありませんね。


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血族間闘争後、マウリッツィオは復活を目指し奮闘します。89年グッチ復興を願って当時、バーグドルフグッドマンの女性社長だったドーン・メロウをクリエイティブ・ディレクター兼副社長として招きます。彼女はジェフリー・ビーンのデザインチームにいたリチャード・ランバートソンを採用。
 
90年、マーク・ジェイコブスが率いるペリー・エリスで同社のブリッジラインにてスポーツウェア(カジュアルウェア)をデザインしていたトム・フォードをレディスのデザイナーに採用。彼は、ほとんど一人でウェア、アクセサリー、ギフトなど、グッチの11にも及ぶラインのデザインを手がけ、いずれもコレクションは好評を博し、グッチを復活の兆しを見せ始めました。


フォードは、マウリッツィオから指示されていたエレガンスなクラシック路線ではなく、モードを打ち出し、やがて、そのデザインは人気を集め始めます。93年には2億ドルだった売り上げは99年には12億ドルまで拡大。 99年、LVMHの敵対的買収を避けて、フランスの流通大手PPR社の傘下に入ります。 経営手腕もあり、グッチは急速に事業を拡大させていきます。1999年、セルジオ・ロッシを買収。2000年、宝飾メーカー、ブシュロンとイヴ・サンローランを買収。2001年、アレキサンダー・マックイーンの株式の51%を獲得。その後、バレンシアガの株式資本の91%を所有し、次々にグッチの傘下におさめていきます。また同時期に、皮革メーカーだったボッテガ・ヴェネタを買収。2002年には、グッチグループからステラ・マッカートニーがデビュー。


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2001年、トム・フォードがイヴ・サンローランリヴ・ゴーシュのデザイナーにも就任しグッチと兼任するなど、フォードとデ・ソーレは影響力をフルに発揮しました。

約10年間に渡る大活躍のデ・ソーレとフォードだったが、2004年4月30日付で退任したのは記憶にあるかと思います。ブランド・コントロールの問題で親会社PPRと対立したのが原因と言われる。 2004年5月より、フォードの後任として、レディースウェアラインのクリエイティヴ・ディレクターに、アレッサンドラ・ファキネッティが就任。尚、メンズウェアラインはジョン・レイが、アクセサリーラインはフリーダ・ジャンニーニが担当しました。   2005年、ファキネッティが、方針を巡る意見の相違を理由にレディースウェアのクリエイティヴ・ディレクターを辞任。後任にジャンニーニが就任。


2006年ジョン・レイがメンズウェアのクリエイティヴ・ディレクターを辞任。このときも後任には、ジャンニーニが就任し、結局、ジャンニーニが、グッチのレディース・メンズライン、アクセサリーラインをすべて努めることとになりました。 フリーダ・ジャンニーニの、セクシーさの中にフェミニンな要素が含まれるファッションは、好評で、コレクションの時の彼女のファッションまで話題になっています。
 

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