シャネルの歴史
ファッションブランドといっても、海外メーカー、日本国内メーカー、エルメスやカルティエなどのハイブランド、プレタポルテによる既製服が多く出回るようになった現在は、とにかく目まぐるしく早く新たな流行が次々に生まれてきますよね。 今トレンドのファストファッションもその象徴ですね。
ちょっと日を空けてお店に向かうと、もう違う洋服に総入れ替えしてあったりと、流行に飲み込まれてしまいそうな感覚さえ覚えてしまうほど。それほど現代はファッション情報に溢れ、ファッションへの関心は非常に高いのです。
皆さんは好きなブランド、憧れのブランドはありますか?私はつい最近ココ・シャネルの半生を描いた本を読み、映画も見たところなので、いまいちど女性が今の軽やかなファッションでいられるようになったキッカケともなった、シャネルの歴史を追ってみたいと思います。
かの有名なシャネルは1909年、ガブリエル・シャネル(通称、ココシャネル)によって設立されました。
ファッション
●シャネルについて
シャネルの創立者、ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel)は1883年、フランスに生まれました。父は行商人、母親が他界し、家族は方々に散り、シャネルと姉は孤児院に預けられ、アメリカに渡った父を「いつか私たちを迎えにきてくれる」と信じ、修道院で育ちました。まるで小公女のようですよね。 ただ、純粋に父を待ち続けたのは姉でガブリエル自身は、決して迎えにこないこと感づいていたのか、少女の頃から私は私で食べていかなければならない、そのためにどうしたら良いかととてもハングリー精神の持ち主でもあったのです。現代の女性であれば、このような考え方を持っている人も多いですが、当時ではとても珍しいことですよね。やはり大きな事を成し遂げる人物は強い考えを持っていますね。
シャネルの打ち出すファッションは、モノトーンな色が中心ですが、それは修道院で黒などべーショックな服を着用していたからと言われているようです。シャネルは修道院の規律正しい生活の中で、お針子としての技術を身につけました。
1905年、踊り子(歌手)を目指しキャバレーで歌う仕事に就きます。美しさも兼ね備えたシャネルは、店の人気者となり、ミドルネーム、ココと呼ばれて親しまれました。これがココ・シャネル(CC)の由来で、有名なモノグラムに繋がります。
そして歌手をした時期に出会った、ブルジョワ出身の青年将校の愛人となり、その青年将校の出資で、1909年に帽子店を開業。その後もシャネルはブランドの初期段階で、恋人から出資を受けて事業を拡大していきます。 装飾が多い帽子の多い中、シャネルのシンプルなデザインは多くの注目を集めました。社交界の女性たちからオーダーが入るようになり、帽子から衣服など徐々に展開を広げていきました。 過去の成功したデザイナーは皇室、女優などの影響力を利用して自身のスタイルを打ち出すことが多かったのですが、シャネルの場合は、その美貌とカリスマ性で自分自身がブランドの広告塔となりました。今では当たり前のように聞こえますが、当時とても斬新かつ効果的なPR法だったといえます。
シャネルの影響力が大きいのは、そのスタイルが評価されたことだけでなく、彼女自身が女性として持っていたカリスマ性や、その生き方、活動的な性格からくるものからだったのでしょう。 1919年、クチュリエとしてオートクチュールのコレクションを発表。シックで着心地の良さを追求し、シンプル&エレガンスを追求します。そのシンプルさは、彼女の考える女性の解放であり、女性のスタイルでもありました。
ファッション
シャネルは「コルセットから解放した」といわれているのは有名ですね。
ですが実はシャネル以前にポール・ポワレ、ランバンなどがすでに始めていて、シャネルが先陣をきったわけではないそうです。ただ、機能的な側面を考えると、シャネルの功績はとても大きく、そのファッション哲学は女性の社会進出の先駆けとなりました。
例として、身軽で動きやすい服を求めて男性用の下着に使われていたジャージー素材にを取り入れたり、紳士ものであるツイード素材を女性用スーツに仕立て、女性がパンツを履くなどのスタイルを提案しました。 シャネルはまた、喪服でしかなかった黒をファッションの色として取り入れます。
このことに関して、「きらきらした衣装を作るのは簡単でも、リトルブラックドレスを作るのは難しい」と語っています。その他、ベージュ色を好み、「本当の大地の色」として、ジャージのスーツに織り込みました。女性にとってとても機能的で動きやすく、かつ上品で美しいシルエットは今のシャネルの原点でもあるのですね。
1921年、あまりにも有名なオードゥ・パルファム「NO.5」が登場。名前の由来は、番号が付けられた実験ボトルが並ぶ研究室で、シャネルが5番目のサンプルを取り上げ「これにするわ」と言ったため、となんともシンプルな理由でした。服飾ブランドが香水をリリースしたことは大変珍しいことでしたが、高価すぎるオートクチュールなど服飾ブランドから、手の出しやすい比較的安価な香水や化粧品をリリースし、ブランド顧客にするという手法は現在ではいたるブランドが行っていることです。
シャネルはスーツを中心に、1964年A/Wの「パンタロン・ルック」などシンプルで着易い服を提案しました。戦前のころと同様の、黒のテーラードスーツをメインにしたコレクションを発表。当時パリのジャーナリストからは「変わらないシャネル」と評価は良くはありませんでしたが、現在でも愛されるテーラードスーツを代表としたシャネルのデザインは「変わらない」からこそ愛され続けているのかもしれません。
1971年に、住居としていたパリのホテル・リッツにて、87歳でこの世を去りました。なんと驚くことにコレクションの準備中、とまさに働きどおしのファッションに身をささげた人生でした。
シャネルの死後、ドイツ人ファッション・デザイナーのカール・ラガーフェルドがデザインを担当し、その意思は現在にまでも引き継がれています。
ファッション
ファッションブックの歴史
ファッション誌、ビジネス誌、旅行ガイド誌、園芸やギャンブル、ダイビング…挙げたらキリがないほど雑誌だけでも情報で溢れています。 ファッション誌でも、様々なテイストの雑誌で溢れています。
ミス・ミセス向け、ストリートファッション、モード、若い世代向けのギャル雑誌、サーフファッションやB系、さらには子供服のみの雑誌…と「ファッション」とひとことでくくるのには多すぎる程のスタイルがありますよね。
現在出回っているファッション誌はターゲットを細かくセグメントし、そのセグメントされた層にのみ提供する情報を載せるため、数多くの雑誌が存在するのでしょう。 今日は数多く存在するファッションブックを西洋、日本から見た歴史や位置づけをご紹介したいと思います。
ファッション
まずはファッションブックの意味から。ファッションを伝える冊子類の総称。一般にはファッション雑誌、fashion magazineあるいはモード雑誌ともいいます。
類語にパターン・ブック、スタイル・ブックなどがあります。パターン・ブックは「デザイン(または型、柄)見本帳」、スタイル・ブックはさまざまな「(服装の)型を図示した本」ということですが、後者は元来、印刷活字の見本帳を意味していたものを、服装その他でも借用するようになったようです。
現在のファッション雑誌は、読者の恋愛事情のアンケート、人間関係のQ&Aコーナーや、「恋愛特集」「モテ特集」、星占いや血液型性格分類等の「占い特集」、漫画、ダイエット、キャリアアップ、金銭管理、料理レシピを掲載する、また近年は付録をサービスするなど、読者の関心をひきつけるエンタテイメント要素を盛り込んでいるものが多いですが、本来は「見本帳」の要素が色濃かったのです。 ではファッションブックの歴史を見てみましょう。
●西洋
ファッションブックが他雑誌と異なる点は、「絵や写真や図」がメインであること。つまり服飾では媒体の主体が形そのものに置かれているため、ファッションブックの発達は版画や印刷術の発達と同時であったということです。現代のようにPCでつくったデータを印刷所に投げれば雑誌ができあがるというわけではありません。版を手作業でつくることがファッションブックをつくる過程の一つということです。今発行されている分厚いファッションブックをつくるとなると、気が遠くなりそうですね・・・。
服装版画に類する刊本が現れ始めるのはルネサンス期で、木版画・エッチングの手法によって当時の服装を記録したもので、17世紀初頭まで続きました。この期はコスチュームブック期と呼ばれています。 この後、17世紀からの1世紀余りをコスチュームプレート期、さらには両者あわせてファッションブック成立の「準備時代」と呼ぶそうです。この時期多くの優れた版画家が輩出しました。
ファッション
18世紀も70年代になると、モードの伝達を意図したプレートが現れ、やがてそれを挿入した「女性向けの総合雑誌」へと発展します。ようやく現代のファッション誌に一歩近づきましたね。この時期はファッションブックの「成立時代」であると同時にファッションプレート期と呼ばれています。
この時期に出回っていたファッションブックは、
『ザ・レディズ・マガジン』The Lady's Magazine 1770~1837(イギリス)
『ギャルリー・デ・モード』Galerie des Modes 1777~1787(フランス)
『プティ・クーリエ・デ・ダーム』Petit Courrier des Dames 1822~1865(フランス)
とくにファッションブック「成立時代」後期はすばらしいファッションブックが続々と刊行されました。
代表的なものには、
『モニトゥール・ド・ラ・モード』Moniteur de la Mode 1843~1910(フランス)
『ザ・クィーン』The Queen 1861~1940(イギリス)
『ル・サロン・ド・ラ・モード』Le Salon de la Mode 1876~1940(フランス)
ブックタイトルに「モード」という言葉も使われ始めた事からも、内容が段々と現代のファッション誌のようにモード性重視になってきたことがうかがえます。
ファッション
続いて20世紀に入ると、ファッションブックは次第に近代的な写真版印刷に変容し、一度に大量印刷されるようになりました。この時期はファッションブックの「発展時期」と呼ばれます。
20世紀初頭からおよそ第二次世界大戦までの前期はモノクロの写真版印刷の時代であると同時に三色版印刷の時代でもあります。 後期はカラー写真版印刷時代。
この時期を代表するファッションブックは 19世紀末に創刊された、『ハーパーズ・バザー』Harper's Bazaar 1867~ (アメリカ)『ヴォーグ』Vogue 1893~ (アメリカ、フランス、イギリス)ちなみに『ヴォーグ』はこの時期、2週おきに発行していたそうです。
●日本
次に日本でのファッションブックの成長ですが、1975年頃まではスタイルブックと呼ばれていました。(ここではあえてファッションブックと呼ばせてもらいますね。)
初のファッションブック創刊は『婦人画報』です。(1905年)
初のファッションブックは1934年創刊の『服装文化』です。国木田独歩を初代編集長として創刊された、日本で最も歴史ある婦人総合誌。婦人画報は出版社としてもあまりにも有名ですね。
その後1934年『服装文化』が創刊されます。
36年に『装苑(そうえん)』と改名されました。同誌は当時洋裁の専門誌で、日本のファッション誌の草分け的存在とも言われています。 そして続々とファッションブックが登場します。 代表的なのを挙げてみます。
『MEN'S CLUB』1954年 本初の男性ファッション雑誌
『non-no』1971年 旅行特集で前年創刊の『anan(アンアン)』とともにアンノン族現象を引き起こしました。 『POPEYE』1971年 従来の男性誌と一線を画す、カタログ風の実践的内容でした。
『JJ』1975年 ニュートラが全国的に流行のキッカケとなりました。
今でも読者の多い有名なファッション誌ですね。 「ファッション」の語が単独で「服飾」の同義語として定着するのは1970年代以降のことであり、70~80年代はその全盛期となって一般女性誌はもちろん、週刊誌までがファッションを取り扱うようになりました。いわばファッションが定着したのは割と最近なんですね。
一方90年代に入ると、バブル経済の余波を受け、一時期沈滞はするものの、21世紀に向かうにつれ落ち着きをみせ、近来は『エル』『ヴォーグ』といった国際誌の日本語版が一般書店でも販売されるに至りました。
ファッション
流行あれこれ《ナ~ハ》
≪ナ行≫
●ニュートラ
日本において、1970年代の半ばから1980年代前半にかけて流行したスタイルで、ブームの中心は女子大生や若いOLでした。キッカケとなったのは当時続々と創刊され始めたファッション雑誌の「anan」が、関西の山の手(神戸)発のお嬢様ファッションを取り上げ『ニュートラ』と名づけたことでした。その後、同様にファッション雑誌の「JJ」が特集を組んだところ、更にブームになり全国的に広がっていきました。「神戸発信のニュートラディショナルファッションスタイル」と言うことから「ニュートラ」と略されますが、あくまでも和製造語のため、英語のnew traditionalとは関係ありません。また、関東では横浜元町発の「ハマトラ」というスタイルが流行しました。
基本的なスタイルは、ブレザースーツ(ブレザーと共地のスラックスを組み合わせたスーツ)や、プリントワンピースにカーディガン等をベースアイテムとし、海外有名ブランドのアクセサリーやバッグ、スカーフなどを組み合わせるといったものでした。ブランドはグッチ、フェンディ、セリーヌ、エルメス等が主流でした。
●ニュー・トラディショナル(new traditional)
極めてファッション性が高く、∃ーロッパ感覚を取り入れたアメリカのファッションで、より現代的で斬新な感覚を加味したアメリカン・トラディショナルのことを指します。
●ニューヨークコレクション(New York Fashion Week)
1962年にアメリカン・デザイナーズ協議会 (CDFA) が発足されて以来、ニューヨークで開催されているプレタポルテのコレクションです。他のコレクションに比べて、現実の生活を意識したキャリアのための実用的な服が多いのは特徴的です。
ちなみに、ファッション・イベント全体を「コレクション」と呼ぶのは日本だけで、世界的には "Fashion Week" と言います。
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≪ハ行≫
●パタンナー
和製造語です。日本においては、デザイナーをアシストする役割だという解釈がほとんどだそうですが、フランスなどのヨーロッパ諸国ではデサイナーとパタンナーは同格であり、著名なデザイナーの陰には優れたパタンナーありと言われるほど重要な存在になっています。役割は、デザイナーのイメージしたデザイン画を元に服飾・ファッションの型紙を引くことを専門とする人で、正しくはパターン・メーカー (pattern maker)と言います。また、パタンナーをmodelist(モデリスト)、modellista(モデリスタ)、デザイナーをcouturier(クチュリエ)、stilista(スティリスタ)とも言います。イタリアでは日本と近い感覚の位置関係のようです。
●ハマトラ
横浜トラディショナルの略で、1970年代後半のニュートラから派生した独自のファッションスタイルです。ニュートラ同様ファッション誌がブームの火付け役となって広まっていきました。中心となっていたのは、山手のフェリス女学院などの名門女子大に通う女子大生たちで、横浜元町が発信地です。言わば、女性版アイビールックで、山の手の女性らしさと可愛らしさが加わった清潔感あるお嬢様スタイルでした。
基本スタイルは、トレーナーに白のレーシーニット(レースのように多くの穴があって透けて見えるニット)のストッキング、ポロシャツ、ベスト、カーディガン、ミニ丈の巻きスカートにハイソックスの組み合わせ、と言ったような独特なスタイルです。また、「三種の神器」と言われ、「フクゾー」の洋服、「ミハマ」の靴、「キタムラ」のバッグは定番ブランドとして必須アイテムだったようです。
また、関西の山の手、神戸から発信されたニュートラとは対抗意識もあったようでした。
●パリ・コレクション(Paris Fahion Week)
年2回、フランスのパリで開かれる服飾ブランドの新作発表会です。「パリ・プレタポルテ・コレクション」では3月に秋冬物、10月に春夏物が約2週間の日程で発表され、「パリ・オートクチュール・コレクション」では1月に秋冬物、7月に春夏物、「メンズコレクション」も2月と7月に開催されています。これらを総称して「パリコレ」と言っています。
世界の有名なプレタポルテのコレクションは主にミラノ・パリ・ロンドン・ニューヨーク・東京の5カ国5都市で開催されます。なかでもパリ・コレクションは一番の規模を持ち、その年のファッションの流行が左右されるため注目度は非常に高いです。
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●パンクファッション(Punk Fashion)
1970年代後半にロンドンの若者のファッションから生まれました。ベースとなったのはセックス・ピストルズと言うパンク・ロックのステージ衣装でした。日本では、ヴィヴィアン・ウエストウッドの取り扱いアイテムがそのままパンク・ファッションのようなイメージをもたれているようですが、実際はほとんどが自作の衣装で、誰でも真似のしやすい簡単でシンプルなものだったようです。
現在のパンク・ファッションのイメージはきついメークに派手な色で逆立ったヘアスタイル、モヒカン、スキンヘッドなどと鋲付の黒い革ジャンとスリムなパンツ、装飾はチェーン、安全ピンと言ったような反抗的で攻撃的なものだと思われがちですが、このようなスタイルは1980年代にイギリス郊外で大流行したパンク・リバイバル、ハードコア・パンク以降に定着してきたと言うことです。パンク・スタイルといってもファッションとしてのジャンルが確立したもので、必ずしもパンク・ファッションを好む人がパンク・ロックを聴くとは限らなくなりました。
●ファストファッション(fast fashion)
ここ5年ほどの間に急速に使われ始めた言葉です。ファストフードのように「早く安い」事を目的として確立されつつある衣料販売の業態です。その時に求められているファッショントレンドをすばやく取り入れ、普段使い用のリアルクローズを短い期間で大量生産し、低価格で提供するグローバルな衣料販売チェーンのことを指しています。
主なブランドは「H&M」「ZARA」「FOREVER21」「GAP」「リミテッド」等で「ユニクロ」よりも企業規模は大きく、グローバル化されています。
●ファッションショー(fashion show)
大きなものは日本では『コレクション』、海外では『ファッション・ウィーク(fashion week)』と言われます。服飾の作品発表や、流行の発信や販売促進などを目的とし、モデルに服を着せて観衆に提示します。
もとは上流階級向けにオートクチュールのショーが行われていましたが、戦後先進国に新たに増えてきた富裕層に向けてプレタポルテのショーが行われるようになりました。その後、中産階級向けの服飾市場が拡大してきたため大量生産が必要となり、卸売業者や小売業者に向けての新作発表を目的としたショーが行われるようになりました。そのため、オートクチュールやプレタポルテのファッションショーは、ファッションデザイナー及びファッションブランドの芸術的作品の発表の場としてのショーになって行きました。
一方、近年の日本では、中産階級の若者向けの服(リアル・クローズ)を対象としたファッションショーが、有料の興行として成立してきました。
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流行あれこれ《カ~タ》
≪カ行≫
●カジュアル(casual)
もともとは正式ではない略式の状態を指す形容詞でしたが、今では普段着としてのファッション全般を指す言葉として定着していますね。対義語はフォーマル(formal)。カジュアルファッションは、着ている本人も見ている相手も、互いに堅苦しくない雰囲気をもたらし、リラックスできるファッションです。
●カラス族
カラスのように全身黒ずくめの服装で身を覆った若者達の俗称です。
当初は1960年代半ばに現れたアイビールック(アメリカの大学生に見る伝統的な服装)の若者たちのことをこう呼んでいました。一般的に知られているのは、1980年代前半の山本耀司(デザイナー、イベント・プロデューサーとして有名)や川久保玲(現代ファッションを代表するカリスマ的デザイナー)などに代表されるDCブランドのモノトーンルック(白と黒の服装)を着ている人々の呼び名です。
また、「青森ねぶた」に乱入した集団や、若い女性を勧誘して風俗店を斡旋するスカウトマンの事もこう呼んでいましたが、共通点は黒ずくめのファッションです。
●ギャルソンヌルック(仏:garconne)
ギャルソンヌとは1922年頃パリで大評判になった小説「ラ・ギャルソンヌ」から生まれた新語で、仏語のギャルソン(男の子)を女性形にした”少年のような女性”という意味で、当時続々と出てきた活発で若い働く女性たちの総称となりました。そして、この小説を基にして生まれたシンプルで活動的な服装が流行しました。フラットなバストにショートボブ(おかっぱをさらに短く、少年風のイメージにカットしたもの)のヘアースタイル、細身で直線的なシルエットのテーラードスーツやドレス、膝下丈のスカートなど、これまでの女性らしさを強調したスタイルとは異なる、新鮮な魅力が流行のきっかけとなりました。この時代の代表的なデザイナーは、シャネル、ランバンなどです。
●コンサバ=コンサバティブ(conservative)
「保守的な、控えめな」という意味のコンサバティブの略語です。最新の流行やトレンドに左右されず、ベーシックで控えめなファッションスタイルのことを指します。また、本来の意味からやや外れ、保守的なセンスの中に女性らしいエレガントさを取り入れたファッションのことも指し示すようです。
日本では1975年以降、神戸のお嬢様風スタイル“ニュートラ”(ニュー・トラディショナル)、横浜元町のお嬢様風スタイル“ハマトラ”(ヨコハマ・トラディショナル)ブームが起き、1985年頃のバブル期に入ると、女子大生ブームが全盛になりました。長い黒髪に太い眉、肩パットの入ったかっちりとしたスーツ・ブラウス・ブランドスカーフ・タイトスカート等、赤文字雑誌(JJ、cancam、ViVi、Rayなど)が取り上げたファッションを「コンサバ」と称し、お嬢様(淑女)の必須アイテムとなりました。近年は、コンサバにギャル的センスを取り入れた「お姉系」がブームになり、エレガンスよりもセクシーさを強調するようにもなりました。
対義語は「アバンギャルド」または「コンテンポラリー」。しきたりに囚われない革新的なセンスのモード系、ユニセックス寄りのセンスでラフな衣類を纏うカジュアルなどになります。
●コンチネンタルスタイル(continental style)
コンチネンタルは「ヨーロッパ大陸の」という意味で、紳士服のスタイルに使われる言葉です。一般的にアメリカのスーツに対して、ヨーロッパのスーツモデルをコンチネンタルモデルと特定して呼んでいる場合が多いようです。また、ヨーロッパのスーツやジャケットなどをヨーロピアンスタイルと呼ぶこともあり、アメリカンスタイルと比べると、テーラードなどの第一ボタンの位置が下のほうに付いており、シャープでスリムなラペルラインが多いです。
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≪サ行≫
●渋カジ
バブル期の1980年代後期~1990年代の若者のファッションスタイルで、渋谷の高校生を中心とした「渋谷カジュアル」の略です。また「渋いカジュアル」と言う説もありますが、これはハッキリとした裏づけはなく俗説のようです。
特徴は、それまでに大流行していたDCブランドとはまったく対照的で、白のTシャツやポロシャツ・ストライプシャツ、インポートのストレートジーンズ、紺のブレザー(紺ブレ)、スタジアムジャンパー(スタジャン)、ローファー、モカシン等・・・シンプルなものでした。方向性も様々で、アメリカンカジュアル風、インポートのソフトトラッド風、エスニック風、ウエスタン風といったあらゆるアイテムを自分なりに取り入れたスタイルでした。
●スーパーモデル(a super model)
1980年代後半から1990年代中頃までに活躍したファッションモデルの中でも、ごく限られたトップモデルたちの事です。「スーパーモデルブーム」と呼ばれる社会現象を巻き起こしたこともあります。ハッキリした定義は分からないのですが、トップレベルのファッションデザイナーと共に世界中で活躍し、知名度も高いと言うこと、オートクチュールで活躍していること等が条件として挙げられるようです。つまり本当に厳選された少数のエリートモデルということになりますね。しかし、90年代の後半からは線引きがあいまいになって、トップモデルに対して条件問わずこの名称が使われたり、日本では海外で活躍しているモデルに対してもこう呼ばれることが多くなってしまいました。これが、「スーパーモデル」という名称に陳腐さを与えてしまったようで、この後ブームは終焉を迎えました。
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≪タ行≫
●竹の子族
1979年~1984年にかけて、原宿の代々木公園の脇の歩行者天国(ホコ天)で、ラジカセを囲みディスコサウンドに合わせて踊っていた若者集団の総称です。また、彼ら特有のファッションもここから生まれました。「竹の子ファッション」と呼ばれた衣装は、原宿の「ブティック・竹の子」で売られていたことから付いた名称です。
主に首都圏の中高生が中心になってグループを作っており、個々のグループによってファッションコンセプトがありました。特徴は、原色で大柄な生地を使用したものが多く、古代日本風、チャイナ風、アラビア風、特攻服風と様々でしたが総称して「ハーレムスーツ」とも呼ばれていたようです。シルエット的には上下共だぶだぶで、足首を絞り、アクセサリーはぬいぐるみやリボン、ロングネックレスなどユニークなものが多く、足元は踊りやすいように上履きやカンフーシューズのようなものを履いていました。自作の衣装も多かったようで、個性にあふれていたと思われます。
●DCブランド(a big-name designer or character-goods brand)
1980年代中盤に日本でブームとなった、日本の衣服のデザイナーズブランドとキャラクターズブランドの総称です。しかし、概念としての「デザイナーズブランド」と「キャラクターズブランド」とは内容が異なっていますので、同一視は出来ません。
ブームの発端はファッション雑誌でした。主な雑誌は「anan」「POPEYE」「JJ」等で、雑誌掲載されたブランドで働く販売員は「ハウスマヌカン」と呼ばれ当時の人気職業でした。この現象は日本だけのもので、「コム・デ・ギャルソン」「Y's」「イッセイミヤケ」などを除いたブランドは海外での知名度はほとんどありませんでした。全盛期は1983年~1987年頃までで、セール時にはファッションビルやデパートに朝早くから行列が出来たほどの人気でした。その後は、バブル景気の全盛に伴い「ジョルジオ・アルマーニ」や「ラルフ・ローレン」といった高級輸入ブランドが進出してきた事と、ボディコンブームの到来により衰退していきました。
●トラディショナル・スタイル(traditional styale)
伝統的メンズ・スタイルのことで、米国東部の伝統的スタイルの事を指すことが多く、アメリカン・トラディショナルとも呼ばれます。また、ブリティッシュ系トラディショナルや、日本独自のニュートラなども含めて呼ぶ事もあります。「伝統的・正統派」という意味があり、流行に左右されないテーラードスーツやトレンチコートなどのベーシックなデザイン、またはウールやカシミアなどの素材を用いたものを総称したりもします。略してトラッドとも言います。
細かく分ければ、アメリカの場合はエレガントなヨーロピアンタイプとは対照的で全体的にスポーティで機能的な雰囲気を持ち、ブレザー、チェック柄のパンツ、ボタンダウンのシャツといった組み合わせが一般的な感じです。ブリティッシュ・トラディショナルは肩幅の広いたっぷりめのジャケットと、ゆったりしたプリーツのパンツといったシルエットが特徴的で、タータンチェックを使った、オーソドックスなものが多いです。どちらも国民的なファッションとして定着しているスタイルです。
●トレンド(trend)
トレンディー(trendy)は形容動詞。ファッション、マーケティング、経済動向分析などの分野でよく使われ、一般的には時代の趨勢、潮流、流行のことを指します。
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流行あれこれ《ア行》
以前流行したスタイルを模して≪○○年代スタイル≫と言うこともありますが、
もとになったスタイルが昔風なだけで実際はその時代に合うようにデザインしなおされて新しい流行となっていきます。
しかし、その基となっているスタイルがどのようなものだったのか分からない事ってありませんか?
今回は、”ファッション用語”と言うと大げさですが、現代に至るまでのファッションスタイルについて少し調べてみました。
≪ア行≫
●アイビールック(the Ivy(-League)look)
1950~60年代頃の、アメリカ・アイビー・リーグ(米国北東部にある名門8大学の一群)の学生のファッション、ライフスタイルを指してこう呼ばれたことが始まりです。
アイビー・リーグは、1937年に結成されたフットボール連盟の事を表す言葉として、ザ・ニューヨーク・ヘラルドのスポーツ担当記者が命名したものです。
登録された8校は、いずれもレンガ造りの校舎とそこに生い茂る蔦(アイビー)がシンボルとなっていました。
各校ともアメリカのエリートを育成する学校として名高く、生徒達は家柄も良く優秀な頭脳の持ち主で、将来は社会の指導者的な立場となる為、服装は保守的で、オーソドックスで、伝統的でありながらも着易く、活動的なものでした。
それが、英国トラディショナルをベースにした、アイビーモデルでした。
これがファッションとしてアイビールックと言われるようになったのは1955年のことでした。
日本では、アイビールックで銀座の「みゆき通り」をたむろしていたので、「みゆき族」などと呼ばれていた人たちもいました。「アイビールック」は、ブレザーとボタンダウンシャツをベースにした学生のファッションスタイルで、今でもボタンダウンに拘りを持っている人が多いようです。
●アウトレットストア(an outlet store)
「売れ残りの在庫品を大量に仕入れて、安売りをする店」と言うのが大儀のようですが、最近の動向はそうでもなさそうです。もともとは1980年代に、アメリカの流通業界から誕生した新しい流通業(小売業)の形態で、「高級ブランド品」(百貨店などで高額でも販売可能なもの)や「メーカー品」(メーカーのブランド名を表示したもの)の衣料品やアクセサリーなどの、流行遅れ商品や通販のクーリングオフ品、実用上は問題のない欠格品(いわゆる「半端もの」「訳あり品」「棚ずれ品」など)を処分するために、工場や倉庫の一角に「アウトレットストア」と呼ばれる在庫処分店舗から始まりました。
これが転じて発生したのがアウトレットモール(outlet mallまたはoutlet center)で、複数メーカーの直販店舗を一同に集め、多数のブランドや業種を揃えた利便性で購入者の選択幅をモール全体で拡大しています。
アウトレット店舗には、メーカーなどが自社企画品や自社生産品の直接販売を行う「ファクトリー・アウトレット」と、小売店がメーカーから仕入れた在庫品を販売する「リテール・アウトレット」の2種類があります。
日本では1993年に埼玉県入間郡大井町(現・ふじみ野市)にアウトレットモール・リズムが開業したのが最初でした。
その後、地方を中心に建設が進み、今では全国に40ヶ所以上のアウトレットモールが続々と誕生しています。
ファッション
●アバンギャルド(仏:avant-garde)
ファッションとしては先端的、前衛的を意味し、過去の概念を打ち破ったような革新的、奇抜なものを指しますが、あくまで正統性があり高い評価の対象となります。
フランス語では軍隊の前衛部隊のことを言い、フランスで起こったダダイズム(あらゆるものの既成の価値を否定した破壊的運動)やシュールレアリスム(超現実主義で驚きの中に最大の美がある)などの芸術革命運動のことを指しました。
●アメカジ=アメリカンカジュアル(American casual)
広義にはアメリカ風の衣料品、またその着こなしのことで、狭義には1960年代の日本で流行したアイビールック(後のカジュアルトラッド、アメリカントラディショナル)を指すこともあります。
明るく、開放的なカジュアルルックのことで、ヨーロピアンカジュアルと対比的に使われています。
一般的にはアイビー調のキャンパススタイルやカリフォルニア調のスポーツルックなどで、アメリカの大学生を手本にし、カジュアルでも清潔感のある学生らしさを感じさせるスタイルが特徴です。
代表的なアイテムとしてはジーンズ、チノパン、スウェットパーカー、ローテクスニーカーなどがあり、他にサープラスと呼ばれる軍から払い下げられた衣料などもあります。
特にジーンズはアメリカンカジュアルの枠を越えて、定番のボトムスとしてグローバルに普及しています。
●アメトラ=アメリカントラディショナル(American traditional)
「アメトラ」という表現は「アメカジ」同様、日本独自の表現です。
元々はアメリカ東部で生まれた伝統的な服装の総称ですが、60年代にブームとなった、アイビールックやアイビーリーグモデルのスーツなどを指して呼ぶこともあります。
また、コンチネンタルスタイルやブリティッシュトラディショナルなどと対比的に使われたりもします。
アメリカントラッドはイギリスの伝統的なスタイルの影響を受けアメリカで形成されたスタイルです。安定したライフスタイルを表現し、流行に左右されることがなく保守的かつ、ノスタルジックなものでした。
ファッション
●イタリアンカジュアル(Italian casual)
イタリア調のカジュアルファッションの総称で、アメリカンカジュアルとは対比的で大人のカジュアルのイメージが強いのが特徴です。イタリアのミラノを中心とするカジュアルファッションなので、地中海風の鮮やかな色使いや大胆なデザインがメインになっています。スポーティーでカラフルなファッションが多いです。
●インポートブランド(an import brand)
海外から輸入されたブランド商品のことを言います。
●ウエスタンルック(a Western look)
アメリカ西部に見られるカウボーイやカウガールの服装から生まれたファッションで、カウボーイハットやウエスタンブーツ、ウエスタンシャツ、フリンジ付きのウエスタンジャケットなどが代表的なアイテムです。
また、アメリカインディアンのスタイルでインディアンルックもこの中に含まれたりします。
●エンパイアスタイル(empire style)
ナポレオン第一帝政(1804~14年)に見られたクラシックスタイルのことで、フランス語ではアンピールスタイルと言います。このスタイルは、ウエストを絞ってスカートを大きくふくらませたロココスタイルと異なり、古代ギリシャやローマの影響を受けた、細く直線的なシルエットでハイウエストやパフスリーブの付いたドレスが特徴です。短めのジャケットやショールなどとの組み合わせが見られます。
●オートクチュール(仏:haute couture)
フランス語で「特注の高級仕立て服」の事を指し、注文を受けてから造られる一点物のオーダーメイド服の事になります。高級洋裁(店)とも訳されます。
ファッションビジネス界では、「サンディカ」と呼ばれるパリの高級衣装店(オートクチュール)組合(La Chambre Syndicale de la Couture Parisienne)に所属している店舗で造られた商品のみがこう呼ばれます。
そして、パリとローマで年に2回(1月と7月)行われる「オートクチュール・コレクション」は、この組合に所属しているメンバーとメゾン(店)のみが参加でき、メゾン専属のデザイナーが顧客のために創作デザインを発表し販売するため、一般の注文服店や既製服店とは区別されています。
義務としてショーを行い招待客やジャーナリストに公開しなければならず、ここから流行が生み出される事もあります。
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