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シャネルの歴史

この記事を読んでくださっている方は、少なくともファッションに興味のある方だと思います。

ファッションブランドといっても、海外メーカー、日本国内メーカー、エルメスやカルティエなどのハイブランド、プレタポルテによる既製服が多く出回るようになった現在は、とにかく目まぐるしく早く新たな流行が次々に生まれてきますよね。 今トレンドのファストファッションもその象徴ですね。
ちょっと日を空けてお店に向かうと、もう違う洋服に総入れ替えしてあったりと、流行に飲み込まれてしまいそうな感覚さえ覚えてしまうほど。それほど現代はファッション情報に溢れ、ファッションへの関心は非常に高いのです。


皆さんは好きなブランド、憧れのブランドはありますか?私はつい最近ココ・シャネルの半生を描いた本を読み、映画も見たところなので、いまいちど女性が今の軽やかなファッションでいられるようになったキッカケともなった、シャネルの歴史を追ってみたいと思います。


かの有名なシャネルは1909年、ガブリエル・シャネル(通称、ココシャネル)によって設立されました。



ファッション



●シャネルについて
シャネルの創立者、ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel)は1883年、フランスに生まれました。父は行商人、母親が他界し、家族は方々に散り、シャネルと姉は孤児院に預けられ、アメリカに渡った父を「いつか私たちを迎えにきてくれる」と信じ、修道院で育ちました。まるで小公女のようですよね。 ただ、純粋に父を待ち続けたのは姉でガブリエル自身は、決して迎えにこないこと感づいていたのか、少女の頃から私は私で食べていかなければならない、そのためにどうしたら良いかととてもハングリー精神の持ち主でもあったのです。現代の女性であれば、このような考え方を持っている人も多いですが、当時ではとても珍しいことですよね。やはり大きな事を成し遂げる人物は強い考えを持っていますね。




シャネルの打ち出すファッションは、モノトーンな色が中心ですが、それは修道院で黒などべーショックな服を着用していたからと言われているようです。シャネルは修道院の規律正しい生活の中で、お針子としての技術を身につけました。
 

1905年、踊り子(歌手)を目指しキャバレーで歌う仕事に就きます。美しさも兼ね備えたシャネルは、店の人気者となり、ミドルネーム、ココと呼ばれて親しまれました。これがココ・シャネル(CC)の由来で、有名なモノグラムに繋がります。

そして歌手をした時期に出会った、ブルジョワ出身の青年将校の愛人となり、その青年将校の出資で、1909年に帽子店を開業。その後もシャネルはブランドの初期段階で、恋人から出資を受けて事業を拡大していきます。 装飾が多い帽子の多い中、シャネルのシンプルなデザインは多くの注目を集めました。社交界の女性たちからオーダーが入るようになり、帽子から衣服など徐々に展開を広げていきました。 過去の成功したデザイナーは皇室、女優などの影響力を利用して自身のスタイルを打ち出すことが多かったのですが、シャネルの場合は、その美貌とカリスマ性で自分自身がブランドの広告塔となりました。今では当たり前のように聞こえますが、当時とても斬新かつ効果的なPR法だったといえます。
 

シャネルの影響力が大きいのは、そのスタイルが評価されたことだけでなく、彼女自身が女性として持っていたカリスマ性や、その生き方、活動的な性格からくるものからだったのでしょう。 1919年、クチュリエとしてオートクチュールのコレクションを発表。シックで着心地の良さを追求し、シンプル&エレガンスを追求します。そのシンプルさは、彼女の考える女性の解放であり、女性のスタイルでもありました。



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シャネルは「コルセットから解放した」といわれているのは有名ですね。
ですが実はシャネル以前にポール・ポワレ、ランバンなどがすでに始めていて、シャネルが先陣をきったわけではないそうです。ただ、機能的な側面を考えると、シャネルの功績はとても大きく、そのファッション哲学は女性の社会進出の先駆けとなりました。
 

例として、身軽で動きやすい服を求めて男性用の下着に使われていたジャージー素材にを取り入れたり、紳士ものであるツイード素材を女性用スーツに仕立て、女性がパンツを履くなどのスタイルを提案しました。 シャネルはまた、喪服でしかなかった黒をファッションの色として取り入れます。

このことに関して、「きらきらした衣装を作るのは簡単でも、リトルブラックドレスを作るのは難しい」と語っています。その他、ベージュ色を好み、「本当の大地の色」として、ジャージのスーツに織り込みました。女性にとってとても機能的で動きやすく、かつ上品で美しいシルエットは今のシャネルの原点でもあるのですね。



1921年、あまりにも有名なオードゥ・パルファム「NO.5」が登場。名前の由来は、番号が付けられた実験ボトルが並ぶ研究室で、シャネルが5番目のサンプルを取り上げ「これにするわ」と言ったため、となんともシンプルな理由でした。服飾ブランドが香水をリリースしたことは大変珍しいことでしたが、高価すぎるオートクチュールなど服飾ブランドから、手の出しやすい比較的安価な香水や化粧品をリリースし、ブランド顧客にするという手法は現在ではいたるブランドが行っていることです。
 


シャネルはスーツを中心に、1964年A/Wの「パンタロン・ルック」などシンプルで着易い服を提案しました。戦前のころと同様の、黒のテーラードスーツをメインにしたコレクションを発表。当時パリのジャーナリストからは「変わらないシャネル」と評価は良くはありませんでしたが、現在でも愛されるテーラードスーツを代表としたシャネルのデザインは「変わらない」からこそ愛され続けているのかもしれません。

1971年に、住居としていたパリのホテル・リッツにて、87歳でこの世を去りました。なんと驚くことにコレクションの準備中、とまさに働きどおしのファッションに身をささげた人生でした。
 
シャネルの死後、ドイツ人ファッション・デザイナーのカール・ラガーフェルドがデザインを担当し、その意思は現在にまでも引き継がれています。
 

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